科学的地理学の萌芽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 04:47 UTC 版)
地理上の発見がなされた大航海時代に、ヨーロッパ人は大幅な地理的な知識は得たものの、それを学問上で後押しするだけの科学技術は後の17・18世紀まで待たねばならなかった。17世紀以降、自然科学はかつてないほど著しく発展していった。当時のコスモグラフィー的な著作は、単なる地誌の記述に終わっており、さら地表の現象における神の摂理について記述するなど、科学的なスタンスからはかけ離れていったことも相まって徐々に姿を消した。 科学が発展してきた17世紀以降、地表の気象や地形などの多様な自然現象は決して個々の独立した現象ではなく体系的に解明・理解され得るものであり、地理学はこうした科学的な解明を行う学問を目指すべきだという考え方がなされるようになった。その代表格は、オランダ人のワレニウスである。彼の著作『一般地理学』は、こうした理念の下、地理学の下に海洋学、気候学などを位置づけることを想定していた。こうして古代より停滞していた一般地理学の理論構築が再び模索されるようになった。しかしワレニウスの没後、彼の考えを受け継ぐものが現れず、地理学は再び停滞した。 また、この時代の他の実績として、スネリウスによる三角測量の発明が挙げられる。また、学問の細分化が進み、自然科学が目覚ましく発展した時期でもある(ニュートンなどが現れたのも、この時期である)。こうした自然科学の発展とそれに伴う測定機器の発展は、後の地理学発展の下地になっていった。 一時期停滞していた地理学の歴史を動かしたのは、哲学者でもあるイマヌエル・カントである。彼はケーニヒスベルク大学で地理学を講じ、「地理学はそこに山があり、そこに川があるのを決して神の摂理とするのではなく、科学的に解明され得るものとしなくてはならない」と説いた。 しかし、このような精神で地理学を論ずるものは少なく、この時代の多くの地理書は、知らない土地の自然の不思議な現象を興味本位に書き立てたり、地理学とはおおよそ関係ないその土地の歴史や政治制度を記載してあったり、それを元にしたあまり正確ともいえない考察がされていたりしていた。 またこの時代は、地質学など近接分野にも目覚しい発展が見られ地理学に影響を与えたのも見逃せない。このように、地理学が近代学問としてその姿を見せるようになったのであるが、それを決めるのは19世紀のフンボルトとリッターという人物の出現を待たないくてはならない。また、地理学が近代的な姿になるのは、現代でいう自然地理学の分野によってである。人文地理学に光が当てられるのも、19世紀に入ってからである。
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