神の党・「死は勝利」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:25 UTC 版)
「カミカゼ」戦術は「神の党」(ヒズボラ)によって、1982年のイスラエル侵攻後のレバノンでも採用された。1983年10月には、爆弾を積んだトラックの自爆テロによって、241人のアメリカ兵が殺害された。その10年後には、パレスチナ人も自爆戦術を行なった。 自爆攻撃者は「しばしば報復の念にとらわれている」とされる。しかし彼らを送り出す側の思想では、自爆攻撃とは「戦争」であり、「死ぬ覚悟のできた聖戦戦士」が、快適主義(ブルジョア的物質主義)に陥った軽蔑すべき者たちに挑む戦いである。例えば「神の党」の精神的指導者ハサン・ナスララは、2000年5月にイスラエル軍がレバノンから撤退した後、こう述べている。 イスラエルは核兵器や重兵器を所有しているかもしれないが、神から見ればクモの巣より脆い。 アメリカのアフガニスタン侵攻が開始された直後では、イギリスの新聞がタリバンにインタビューをした時、タリバンの若いジハーディ(努力家・聖戦戦士)はアメリカの敗北を信じていた。彼によると アメリカ人はペプシコーラを愛しているが、我々は死を愛しているから。 が、その理由だった(このように「西洋」を軟弱・病的・快楽中毒の退廃的文明とする見方は、「西洋」に対する世界各地での「聖戦」に共通している。大日本帝国も、ジャズ等の「西洋」を敵性文化と見なした)。オサーマ・ビン=ラーディンが若い信奉者たちを扇動する際に用いる、「死の崇拝」的レトリックには、「カミカゼ精神」との類似点が多いとされる。 恐れを知らぬ勇敢なイスラムの若者が、アルコバールを爆破して、十字軍の軍隊は砂塵と消えた。死の恐怖によって脅されれば、彼らはこう答える。「私の死は勝利だ」と。 ビン・ラディンによれば、イスラムの若い戦士たちはアメリカ兵士とは異なっており、その理由は次のものだった。 アメリカの問題は「どうやって、戦うように軍隊を説得するか」だが、我々の問題は「どうやって我先に戦おうとする若者たちを抑制するか」にあるからだ。 … (死とは)真実、そして究極の運命である。生命はいずれ終わる。もし戦わなければ、私の母親は狂うに違いない。 またビン・ラディンは、彼の若い「騎士」たちについて、 彼らは戦いの熱狂の中で、死ぬことを気にしていない。そして敵の「狂気」を、彼らの「狂気じみた勇気」で癒やすのだ。 と述べている。ビン・ラディンの言葉はイスラムの主流ではなく、彼が好む「狂気的(insane)」という形容詞は、むしろナチスが多用した「狂信的(fanatisch)」という表現に近い。確かに聖戦は、イスラム国家の防衛という大義の名で正当化されてきており、戦死した信者には天国での悦楽が約束されてきたが、自殺の肯定や「死そのものの賛美」は、(伝統的スンニ派では特に)存在しなかった。フリーランスのテロリストが非武装の民間人を殺害し、殉教者として天国に迎えられるという考えも、近代以降の「発明」と考えられる。
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