イスラエル侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:33 UTC 版)
LFはレッド・ライン協定に着目し、1978年に検問で自派部隊をシリア軍とわざと衝突させた。これに怒ったシリアは、協定を無視してマロン派の拠点である東ベイルートに砲撃を加えた。イスラエルは協定違反としてシリアを非難した。さらに特殊部隊と空軍機を出動させ、リタニ川以南のレバノン南部を占領した(リタニ作戦)。しかし、イスラエル軍による占領は国際的批判を免れず、イスラエルはレバノン国軍の元将校であるサアド・ハッダート少佐に占領地を譲り渡して代理で支配させた。ハッダート少佐は占領地で「自由レバノン軍」という民兵組織を結成し、イスラエルの傀儡部隊として協力した(その後、ハッダート少佐は病死し「南レバノン軍」と改称された)。 1980年にはレバノン各地でシリア軍とLFが衝突した。LFは東ベイルートとベッカー高原を結ぶ軍事道路を構築しており、シリアはLFの陣地に攻撃を仕掛けると、LFはイスラエル軍に対して救難を要請し、イスラエル空軍の戦闘機がシリア空軍のヘリコプターを撃墜した。シリアはこの報復としてレッド・ライン協定に反して地対空ミサイルをベッカー高原に配備した。協定は有名無実になりつつあり、一触即発の事態に陥っていたが、1981年のアメリカの仲介によって、シリアとイスラエルの衝突は避ける事ができた。
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