イスラエル占領下・非ユダヤ人住民に対する占領統治
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「占領統治」の記事における「イスラエル占領下・非ユダヤ人住民に対する占領統治」の解説
イギリス委任統治領パレスチナは第二次世界大戦後の1947年11月29日、国際連合のパレスチナ分割決議により、ユダヤ人とアラブ人の2国家をそれぞれ独立させることになった。人口と比較してユダヤ人に有利な国割で、アラブ人側は反発し、パレスチナ内戦(英語版)に陥った。委任統治の終了した1948年5月14日にユダヤ人はイスラエル独立宣言を行い、そのままアラブ人との第一次中東戦争に突入した。 第一次中東戦争に勝利し、さらに占領地を増やしたイスラエルは、ユダヤ人住民に対してはイスラエル国政府による民政、アラブ人(パレスチナ人)住民に対してはイスラエル国防軍による占領統治という、二重行政の形を取った。本土・占領地という区別では無く、住民の出自がそのまま占領統治対象の基準になった。 占領統治は1966年に一度終了するが、1967年の第三次中東戦争でさらに占領地を増やしてユダヤ人入植地を建設すると(また、東エルサレムを自国領として併合。いずれも、国際的には認められていないが、アメリカ合衆国など一部は認めている)、新たな占領地の非ユダヤ人住民は、再びイスラエル国防軍の占領統治下に敷かれ、イスラエル国防軍軍律によって統制された。エジプトからの占領地(シナイ半島)は1979年に返還されたが、シリアからの占領地(ゴラン高原)は1981年に併合を宣言した(これも米国以外は認めていない)。同年、キャンプ・デービッド合意に従ってIDFの直接支配は名目上終了し、行政部門はイスラエル民政局(英語版)に権限を移譲した。 残るパレスチナ自治政府の領土とされた土地の大部分は、現在でもイスラエル国防軍・イスラエル民政局の占領統治下にある。さらに、米国の支持を得て(「繁栄に至る平和(英語版)」)、ヨルダン川西岸地区の要衝をイスラエル本土として併合(内地化)しようとしており、パレスチナ側の強い反発を受けている。 なおイスラエルは、一時的に占領したシナイ半島を除き、占領統治であること自体を認めていない。理由として、イギリス委任統治領パレスチナの消滅後、無主地を先占したと解釈した上での領有権主張。ひいては、占領地での被占領民保護を義務づけた、1949年のジュネーヴ第4条約の適用を否定する目的などが挙げられる。
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