病院経営への移行と発展(1963-1998)
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「クローバー子供図書館」の記事における「病院経営への移行と発展(1963-1998)」の解説
1963年(昭和38年)4月に郡山精神病院の運営する図書館となる。好子はこの時、正式に館長に就任した。1966年(昭和46年)には好子を含めて職員3人体制となり、おはなし会を開催するようになった。1968年(昭和48年)9月、郡山精神病院内に「職員文庫」を設立する。 1970年(昭和45年)4月にはクローバー子供新聞を「だんごっぱな」に改題した。翌1971年(昭和46年)に「職員文庫」を入院患者にも開放して「院内文庫」に改称した。この頃には児童書6,000冊、一般書1,500冊を保有し、月曜日に休館していた。1974年(昭和49年)4月より幼児への貸し出しを開始した。また1975年(昭和50年)から1986年(昭和61年)にかけて児童文学を読む大人のための読書会、おはなし勉強会「どんぐりの会」、児童文学講座という大人向けの行事を立て続けに開始した。 この間、1973年(昭和48年)6月に「郡山子どもの本をひろめる会」が発足して子供に良い本を届けようという運動を展開し、家庭文庫(当地では「子供文庫」と呼称)が郡山市内各所に誕生した。子供文庫では、自前の図書のほかにクローバー子供図書館や郡山市図書館の本を利用して活動を行っており、1975年(昭和50年)には子供文庫連絡会を立ち上げ、郡山市図書館の蔵書充実を訴えた。翌1976年(昭和51年)5月にはこれらの団体の共催で「郡山市の図書館を考える集い」をクローバー子供図書館で開催し、郡山市図書館の基本計画策定や移動図書館を2台に増やすよう求める「郡山市民の図書館をそだてる会」の結成の契機となった。同会の活動は後に郡山市図書館の新館建設運動へと発展し、1981年(昭和56年)に実現することとなる。 これまでの活動実績が認められ、好子は1984年(昭和59年)11月10日に高橋堯市長から市制60周年記念の表彰を受け、翌1985年(昭和60年)6月25日に全国公共図書館協議会表彰、1987年(昭和62年)3月には伊藤忠記念財団から子供文庫功労賞、1994年(平成6年)1月8日に「街こおりやま」の第5回ふるさと大賞を受賞した。1985年(昭和60年)10月30日には日本図書館協会会長の永井道雄から財団法人郡山精神病院理事長・金森健が図書館功労者として表彰された。健は、創設者・好子のきょうだいで、クローバー子供図書館を病院経営に移行して質的向上を図り、「児童図書館のモデル」とまで言われるほどに充実させたことを評価された。同時に、郡山市図書館で22年に渡り館長を務めた山崎義人も功労者表彰を受けた。 1986年(昭和61年)度の蔵書数は33,881冊、貸出冊数は32,317冊、入館者数は6,154人、会員数は709人で、おはなし会は年間39回開催し532人が参加していた。この頃の職員は3人で、いずれも病院業務との掛け持ちで、子供たちと親しく会話しながら図書館業務を行っていた。図書館の本を利用すると、子供たちは読書カードにシールを貼ってもらうことができた。山崎義人は「郡山の誇りと言っても過言ではない」と評している。同時期に郡山市内には18もの子供文庫があり、独自の活動を行っていた。 1992年(平成4年)には館長含め4人体制に拡充された。1994年(平成6年)4月、財団法人金森和心会クローバー子供図書館に改称する。1996年(平成8年)、永年館長を務めた金森好子が館長を退任した。開館から1997年(平成9年)までに37万人が来館し、約130万冊を貸し出した。
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