生還者たちとは? わかりやすく解説

生還者たち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:21 UTC 版)

ドナー隊」の記事における「生還者たち」の解説

ワサッチ山脈入った87人中48人が生き延びた一家全員無事だったのはリード家とブリーン家のみ。ジェイコブ・ドナー、ジョージ・ドナー、フランクリン・グレイブスの子どもは孤児になった。ウィリアム・エディは家族全員亡くしマーフィー家大半死亡家畜騾馬が3頭カリフォルニア着いた以外全滅ドナー隊家財はほとんどが遺棄された。 体験した災難半分書いていないが、あなたが災難何たるかを知らない知ってもらうにはもう十分だと思う。だが神のおかげで私の家族だけは誰も人肉食べず済んだ私たち何もかも置いて来たが、そんなことはどうでもいい私たち生き延びたこの手紙で誰の意気をくじく気もないことをわかってほしい。決し近道選んだしゃにむに先を急いだりしてはいけない。 1847年5月16日、ヴァージニア・リードから従妹のメアリ・キーズへの手当時カリフォルニア嫁不足で、寡婦のうち何人かは数か月内に再婚したリード家はサンノゼ入植しドナー家の遺児2人引き取ってともに暮らしたリードカリフォルニア・ゴールドラッシュではうまく立ち回り裕福になるヴァージニア父親添削仰ぎイリノイに住む従妹宛ててカリフォルニアに着くまでの災難」を詳述する手紙書いたジャーナリストのエドウィン・ブライアントはその手紙を1847年6月持ち帰り1847年12月16日付の『Illinois Journal』紙に校正加えて全文掲載した。 バーニジアは個人的な誓い果たしカトリック改宗した。これは小屋で祈るパトリック・ブリーンを見て感化されたものであるマーフィー家生存者はメアリーズビルで暮らした。ブリーン家はサン・ワン・バウティスタ(英語版)で旅館経営した。この宿(名は伏せている)を題材にジョン・ロス・ブラウン(英語版)が書いた話が1862年の『ハーパース・マガジン(英語版)』に掲載されたが、その中で自分人喰い一緒にいるらしい知った筆者激し不快感襲われる様子描かれている。生還者多くがこれと似たような扱い受けたジョージとタムセン・ドナーの遺児は、サッター砦の近隣に住む老夫婦引き取られた。エリザは1846 - 1847年の冬には3歳で、ドナー家の子供では最年少だった。彼女は各種文献や姉たちの証言に基づき1911年ドナー隊事件の本を出した。ブリーン家末女イザベラは1846 - 1847年の冬には1歳で、ドナー隊最後生き残りとして1935年死去した私か有益親身な助言をあげましょう。家にいなさい、――そこは良い場所です、もし病気でも餓死する危険はありません。 1847年、メアリ・グレイブスからレヴィ・フォスディック(姉サラ・フォスディックの舅)への手グレイブス家の子どものその後はさまざまである。メアリ・グレイブスは早く結婚したが、夫は殺された。彼女は夫を殺した犯人絞首刑前に飢えないよう食事差し入れたメアリの孫の1人によれば彼女は非常に真剣だったという。メアリはあるとき次のように言った。「泣ければいいと思うが泣けない。もしあの悲劇忘れ去ることができれば泣き方を思い出せかも知れない」。メアリの弟であるウィリアム一所に居つこうとしなかった。 ナンシー・グレイブスは1846 - 1847年の冬には9歳だった。彼女は、歴史家正確な事実関係求めて接触してきた場合でさえ、事件との関わり一切否定したナンシーは、弟と母親食われた際の体験から立ち直れなかったと言われている。 エディ再婚しカリフォルニア所帯を持った。彼はルイス・キースバーグを殺すという誓い果たそうとしたが、ジェイムス・リードとエドウィン・ブライアントに止められた。翌年エディ自分体験をJ・クイン・ソーントンに語りソーントンはそれを元にドナー隊事件に関する最初包括的な本を書いたその内容にはまたリード体験談反映されている。エディ1859年死去した。 キースバーグは彼がタムセン・ドナーを殺したとする回収隊員数名を名誉棄損告訴した法廷彼に賠償金1ドル認めたが、裁判費用彼の負担とした。1847年の『California Star』紙掲載記事はキースバーグの行動残虐表現描写しつつ、回収隊からのリンチに近い扱い触れ、彼は春の雪解け露出した牛馬の肉より人肉好んだと書いた。歴史家のチャールズ・マクグラシャンは、タムセン・ドナー殺しでキースバーグを起訴するに足るだけの材料集めたが、キースバーグに直接取材したと殺人はなかったと結論した。エリザ・ドナー・ホートンもまたキースバーグを無実信じていた。 歳を取るにつれ、キースバーグは外に出なくなった忌み嫌われ脅されることも多かったためである。彼はマクグラシャンに次のように語っている。「しばしば思うに全能なる者は地上すべての男の中から特に私を選び1人人間いかほどの困難、苦しみ惨めさ耐えうるものかを見ているのだ!」。

※この「生還者たち」の解説は、「ドナー隊」の解説の一部です。
「生還者たち」を含む「ドナー隊」の記事については、「ドナー隊」の概要を参照ください。

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