生還者たち
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ワサッチ山脈に入った87人中48人が生き延びた。一家全員無事だったのはリード家とブリーン家のみ。ジェイコブ・ドナー、ジョージ・ドナー、フランクリン・グレイブスの子どもは孤児になった。ウィリアム・エディは家族全員を亡くし、マーフィー家も大半が死亡。家畜は騾馬が3頭カリフォルニアに着いた以外全滅。ドナー隊の家財はほとんどが遺棄された。 体験した災難の半分も書いていないが、あなたが災難の何たるかを知らないと知ってもらうにはもう十分だと思う。だが神のおかげで私の家族だけは誰も人肉を食べずに済んだ。私たちは何もかも置いて来たが、そんなことはどうでもいい。私たちは生き延びたがこの手紙で誰の意気をくじく気もないことをわかってほしい。決して近道を選んだりしゃにむに先を急いだりしてはいけない。 1847年5月16日、ヴァージニア・リードから従妹のメアリ・キーズへの手紙 当時のカリフォルニアは嫁不足で、寡婦のうち何人かは数か月内に再婚した。リード家はサンノゼに入植し、ドナー家の遺児を2人引き取ってともに暮らした。リードはカリフォルニア・ゴールドラッシュではうまく立ち回り裕福になる。ヴァージニアは父親に添削を仰ぎ、イリノイに住む従妹に宛てて「カリフォルニアに着くまでの災難」を詳述する手紙を書いた。ジャーナリストのエドウィン・ブライアントはその手紙を1847年6月に持ち帰り、1847年12月16日付の『Illinois Journal』紙に校正を加えて全文掲載した。 バーニジアは個人的な誓いを果たしてカトリックに改宗した。これは小屋で祈るパトリック・ブリーンを見て感化されたものである。マーフィー家の生存者はメアリーズビルで暮らした。ブリーン家はサン・ワン・バウティスタ(英語版)で旅館を経営した。この宿(名は伏せている)を題材にジョン・ロス・ブラウン(英語版)が書いた話が1862年の『ハーパース・マガジン(英語版)』に掲載されたが、その中では自分が人喰いと一緒にいるらしいと知った筆者が激しい不快感に襲われる様子が描かれている。生還者の多くがこれと似たような扱いを受けた。 ジョージとタムセン・ドナーの遺児は、サッター砦の近隣に住む老夫婦に引き取られた。エリザは1846 - 1847年の冬には3歳で、ドナー家の子供では最年少だった。彼女は各種の文献や姉たちの証言に基づき1911年にドナー隊事件の本を出した。ブリーン家末女のイザベラは1846 - 1847年の冬には1歳で、ドナー隊の最後の生き残りとして1935年に死去した。 私から有益で親身な助言をあげましょう。家にいなさい、――そこは良い場所です、もし病気でも餓死する危険はありません。 1847年、メアリ・グレイブスからレヴィ・フォスディック(姉サラ・フォスディックの舅)への手紙 グレイブス家の子どものその後はさまざまである。メアリ・グレイブスは早くに結婚したが、夫は殺された。彼女は夫を殺した犯人が絞首刑の前に飢えないよう食事を差し入れた。メアリの孫の1人によれば彼女は非常に真剣だったという。メアリはあるとき次のように言った。「泣ければいいと思うが泣けない。もしあの悲劇を忘れ去ることができれば、泣き方を思い出せるかも知れない」。メアリの弟であるウィリアムは一所に居つこうとしなかった。 ナンシー・グレイブスは1846 - 1847年の冬には9歳だった。彼女は、歴史家が正確な事実関係を求めて接触してきた場合でさえ、事件との関わりを一切否定した。ナンシーは、弟と母親が食われた際の体験から立ち直れなかったと言われている。 エディは再婚し、カリフォルニアに所帯を持った。彼はルイス・キースバーグを殺すという誓いを果たそうとしたが、ジェイムス・リードとエドウィン・ブライアントに止められた。翌年、エディは自分の体験をJ・クイン・ソーントンに語り、ソーントンはそれを元にドナー隊事件に関する最初の包括的な本を書いた。その内容にはまたリードの体験談も反映されている。エディは1859年に死去した。 キースバーグは彼がタムセン・ドナーを殺したとする回収隊員数名を名誉棄損で告訴した。法廷は彼に賠償金1ドルを認めたが、裁判費用は彼の負担とした。1847年の『California Star』紙掲載記事はキースバーグの行動を残虐表現で描写しつつ、回収隊からのリンチに近い扱いに触れ、彼は春の雪解けで露出した牛馬の肉より人肉を好んだと書いた。歴史家のチャールズ・マクグラシャンは、タムセン・ドナー殺しでキースバーグを起訴するに足るだけの材料を集めたが、キースバーグに直接取材したあと殺人はなかったと結論した。エリザ・ドナー・ホートンもまたキースバーグを無実と信じていた。 歳を取るにつれ、キースバーグは外に出なくなった。忌み嫌われ脅されることも多かったためである。彼はマクグラシャンに次のように語っている。「しばしば思うに全能なる者は地上のすべての男の中から特に私を選び、1人の人間がいかほどの困難、苦しみ、惨めさに耐えうるものかを見ているのだ!」。
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