生還者/目撃者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:04 UTC 版)
人民寺院で高位に位置していた3人の生存者は、役割を割り当てられ死から逃れたと語った。ティム・カーターとその弟マイクは、30歳と20歳、そしてマイク・プロークスは31歳で、55万アメリカ・ドルと13万ガイアナ・ドルが収められた荷物、そして封筒を与えられ、それらをジョージタウンのソビエト大使館へ運ぶと語っていた。この封筒には2つのパスポートと3通の依頼状が収められていた。その内最初の一つは、ティモフェイェフに宛てられたもので、以下のような内容であった。 親愛なる同志ティモフェイェフこの後に続くのは、我々がソビエト社会主義連邦共和国の共産党に我々の全資産を寄付することについてのお願いです。この手紙に同封されたものに、銀行に現金小切手をあなたに送付するように指示するものが含まれています。私は、人民寺院の代理としてこれを行っています。何故なら、私達共産主義者は、私たちの資産を世界中の抑圧された人々を助けるためや、貴方の意思決定機関の良いように使うことを望んでいるのです。 この手紙には銀行口座のリストが含まれており、残高を合計するとソビエト連邦共産党へと送金可能な金額は730万ドルを超えるまでになっていた。プロークスとカーター兄弟はすぐに現金の大半を捨て去り、カイトゥマの人民寺院の船に向かっている際に逮捕された。当てにしていたボートは、数日前に既に出港した後であり、彼らがどの様に150マイル(240km)も離れたジョージタウンへ向かおうとしていたのかは不明である。兄弟は自殺が始まる前に仕事を請け負い、何が起きたのかを理解してすぐにその使命を放棄した。ティム・カーターは、必死になって妻と息子を探そうとしたが、息子はカーターの目の前で毒物による中毒症状で死に、彼の妻は絶望の中で自殺した。この時点でカーターは神経衰弱を発症しており、同様に取り乱していた弟によってジョーンズタウンから連れ出された。 パビリオンでの最後の集会が始まる直前、ゲイリーとレーンは、人々は彼らに怒っていると語られた。この法律家達は、訪問客の宿泊に使用されていた家に案内された。彼らによれば、彼らは2人の武装した警備員を説得して逃げ出し、ジャングルの中を彷徨い、最終的にポート・カイトゥマに到着したという。ジョーンズタウン近くのジャングルで彼らは銃声を聞いたと証言した。この証言は、クレイトンの証言と一致した。クレイトンは、先にジャングルの中に逃亡しており、パスポートを探すためにジョーンズタウンに密かに戻った際に同じような音を聞いたと証言している。ローズは、聴診器を取ってくると称して、建物の下に隠れた。 更に4名の生還者がいた。そのうち、グローヴァー・デイヴィスという79歳の信者は、聴覚障碍ゆえに拡声器による召集の知らせを聞くことが出来ず、溝に寝て、死んだふりをしていた。ヒアシンス・スラッシュという76歳の信者は、何が起こっているかに気付き、彼女のベッドの下に隠れていた。そして、集団自殺が完全に終わってから、ようやく外に出てきたのである。
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