特殊銀行として発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:48 UTC 版)
「北海道拓殖銀行」の記事における「特殊銀行として発足」の解説
北海道開拓が進められていた明治初期、既に北海道には中小の民間銀行(釧路銀行、根室銀行等)があったが、多くは小規模な水産業や商業への融資にとどまり、高利貸しが幅を利かす地域もあった。1896年(明治29年)公布の農工銀行法により全国46府県に農工銀行が設置されたが、これは土地を担保に融資を行うものであり、開拓途上で資本蓄積の乏しい北海道には、これに代わる特別の国策銀行が必要であるとされた。 このため1899年(明治32年)に北海道拓殖銀行法(拓銀法)を制定、これに基づく特殊銀行として1900年(明治33年)2月16日に北海道拓殖銀行が設立された(初代頭取曽根静夫)。当時の資本金は政府・道外資本を含む300万円、職員26名、本店は現在北海道電力本社がある札幌市中央区大通東1丁目。拓銀には金融債発行による資金調達が認められ、道外の潤沢な資金を供給する窓口となった。 こうして道内産業に長期・低利の融資を行ったが、この目的は「北海道ノ拓殖事業ニ資本ヲ供給スル」(拓銀法第1条)という広範囲なもので、拓銀は日本勧業銀行・日本興業銀行に代わる役割も果たしていた(ゆえに、農工銀行の役割も果たしていたことから47都道府県中、北海道にのみ設置されなかった。当然、勧銀が受け皿支店を開設するということもなかった)。このため、勧銀・興銀の北海道進出が行われたのは実に戦後のことである。とは言え、道内の商工業は未成熟であり、やはり農業への融資がその大半を占めていた。大正中期には水田造成への融資が拡大した反面、冷害による凶作で延滞債権が増加し、昭和初期までに1万ヘクタールもの農地を担保として取得していた。 1939年(昭和14年)の拓銀法改正で、それまで債券発行による資金調達に基づく長期金融が中心だったのを、広く一般から預金を取り扱った上で短期金融の上限も撤廃された。この普通銀行及び貯蓄銀行業務の兼営で拓銀は急激に規模を拡大。第二次世界大戦に突入すると、戦時統合で北海道および樺太における普通銀行並びに貯蓄銀行を統合した。また、豊原支店を中枢として全資産の3割以上を樺太に有していた。北海道炭礦汽船や北海道配電(北電の前身)などの軍需産業へのシンジケートローンにも加わるようになった。 戦後1946年(昭和21年)、GHQにより一時業務停止を宣告され、1950年(昭和25年)の拓銀法廃止により特殊銀行としての使命を終えた。
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