特殊銃の配備と狙撃班の編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:19 UTC 版)
「銃器対策部隊」の記事における「特殊銃の配備と狙撃班の編成」の解説
1968年に発生した金嬉老事件を契機として、翌昭和44年度より特殊銃(狙撃銃)の整備が開始され、昭和48年度までに全国都道府県警察に所定の配備が完了した。これに伴い、特殊銃を運用するための狙撃班の編成も進められており、大阪府警察のライフル隊は、さっそく1970年の瀬戸内シージャック事件で出動している。また1972年のあさま山荘事件でも、警視庁の部隊が威嚇射撃を行った。 これらの部隊は常設ではなく、指定された機動隊員が訓練を行い、事件発生時に召集されるというパートタイムの部隊であった。その後も三菱銀行人質事件など、銃器を用いた凶悪犯罪が多発したことから、特殊銃隊は単なる狙撃班にとどまらず、立てこもり犯人逮捕のための突入訓練なども行うようになっていった。警視庁の部隊は、銃器を使用した犯罪に対処する特殊警備部隊として機動隊観閲式に参加していたが、この際には防弾帽・防弾衣を着用し、ガス筒発射器を携行していた。
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