特徴・就役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 06:25 UTC 版)
船体の特徴としては「川崎型油槽船と実質同じで、「姉妹船」」という見方がある。船舶改善助成施設や優秀船舶建造助成施設の適用、「富士山丸」以来の2条の縦通隔壁を渡して強度を持たせた点については共通しているが、川崎建造分や戦時標準船とは異なり、建造された造船所ごとにスペックなどが異なったりしている。なかでも、「日章丸」は船体の至るところに「流線形」を取り入れ、「日本油槽船の史上に残る名船」とうたわれた。また「黒潮丸」は、ディーゼル機関を搭載した他のタンカーと違ってタービン機関を搭載し、太平洋戦争中に建造された戦時標準船中の1TL型、2TL型といったタンカーが若干の例外を除いてタービン機関を搭載したため、そのプロトタイプとも言うべき存在となった。ディーゼル機関搭載船も、それぞれ建造造船所やその関連会社が製作した機関を搭載している。「音羽山丸」と「御室山丸」には流動面積減少装置が取り付けられ、また本項で紹介するタンカーの中では一番小ぶりの部類に入る。 川崎型油槽船と同じよう平時は商業航海に従事し、太平洋戦争では「音羽山丸」のみは日本陸軍の指揮下で運航され、他は日本海軍に徴傭されて行動した。この節で紹介したタンカーも全て一度は戦没し、「黒潮丸」だけが戦後に中華民国政府により浮揚されて「永灝」と改名、後にイギリス政府に接収されて給油艦「サーフ・パイロット」となっている。
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特徴・就役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 22:04 UTC 版)
ディーゼルエンジンの導入や船型以外でも、音戸丸級貨客船では上甲板に二等客室、中甲板の船首尾に三等客室を設け、甲板上の諸機械もすべて電化されていた。最大の特徴は、「音戸丸」だけであるがディーゼル船がゆえに就航当初は「煙突は不用」として排気管しか取り付けなかったことである。しかし、これでは大阪商船の「大」のファンネルマークを表示する場所がなかったため、排気管の周囲に櫓をめぐらせ、櫓の側面に赤地の「大」のファンネルマークを取り付けた。ところが、これはこれで違和感があり、しばらくのちに汽船型のダミー・ファンネルを設置して見慣れた「黒地に白の「大」のファンネルマーク」を表示することができた。間をおいて竣工した「早鞆丸」と「三原丸」は、はじめからダミー・ファンネルを装着した。 就役後は予定通りに大阪山陽線に就航し、1935年(昭和10年)には航路ごと系列会社の摂陽商船に移籍して就航を続けた。こののち、「音戸丸」は1938年(昭和13年)に日清汽船に売却され、次いで1939年(昭和14年)設立の国策会社・東亜海運に現物出資、さらに1940年(昭和15年)には中華民国の船主へと移籍を繰り返したが、終末は定かではない。残る「早鞆丸」と「三原丸」は1942年(昭和17年)に設立の関西汽船に移籍。「三原丸」は瀬戸内海から遠く離れたフィリピン水域で沈没し、特設駆潜艇として行動した「早鞆丸」は戦争を生き残って、1960年(昭和35年)に引退して解体されるまで瀬戸内の近距離航路に就航し続けた。
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