商業航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 10:17 UTC 版)
1926年(大正15年)8月30日、「インファンタ・イサベル」は、大阪商船に売却されて「瑞穂丸」と改名した。当時の大阪商船は、日本本土と植民地の台湾を結ぶ定期航路の船質改善を進めており、1923年(大正12年)にも外国の中古客船2隻を購入して「扶桑丸」「蓬莱丸」と改名、台湾航路に投入していた。「瑞穂丸」は、船体や機関のオーバーホールと、和辻春樹の設計に基づく改装工事が施された。船室や公室は基本的にスペイン船時代のまま残されたが、三等船室の一部が畳敷きに変更された。 1927年(昭和2年)4月に改装工事を終えた「瑞穂丸」は、神戸=基隆線に就航した。「瑞穂丸」は「扶桑丸」「蓬莱丸」と並んで日本の近海航路としては画期的な大型客船であり、3隻合わせて2週間に3便の定期運航で好評を博した。「瑞穂丸」は10年間に渡り台湾航路で平穏な航海を重ね、神戸=基隆間を約300往復して乗客26万人以上・貨物100万トン以上を運んだ。この間、台湾航路のライバル企業であった日本郵船系列の近海郵船も、元ドイツ客船「吉野丸」に加え、1928年(昭和3年)にイタリアから中古客船2隻(改名して「朝日丸」「大和丸」)を購入して対抗している。 1935年頃になると大阪商船の台湾航路船も老朽化が目立ち始め、代替船が建造された。「瑞穂丸」も新造船「高砂丸」の竣工にあわせ、1937年(昭和12年)5月8日神戸発の便を最後に台湾航路を離れ、大連航路に配船された。
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