定期航路貨物船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 16:41 UTC 版)
「神川丸 (特設水上機母艦)」の記事における「定期航路貨物船」の解説
1919年(大正8年)設立の川崎汽船は当初、川崎造船所で建造中のストックボートや、委託された造船所所有船などを船隊の主力とした。2年後の1921年(大正10年)には、川崎造船所および国策会社の国際汽船と航路の共同運営を開始。「Kライン」の始まりとなる。その後、1927年(昭和2年)の国際汽船の離脱および1934年(昭和9年)の川崎造船所の船主業撤退を経て、名実とともに「Kライン=川崎汽船」となった。この時点での川崎汽船は船隊の主力は依然としてストックボートなど旧型船が多くを占めていた。そこで、川崎汽船では優秀船隊整備計画を掲げ、1935年(昭和10年)にタンカー「建川丸」(10,091トン)を建造して就役させたのを手始めとして、新鋭船を続々投入する事となった。 「神川丸」はニューヨーク定期航路用貨物船として川崎造船所で建造され、1937年(昭和12年)3月に竣工した。本船型4隻の船名の由来は「神聖君國」からきている。就航後は予定通りニューヨーク航路に就いたものの、4ヵ月後に勃発した日中戦争により、商業航海はわずか二往復しかできなかった。このため、川崎汽船は代替として、優秀船舶建造助成施設の適用を受けて、仕様を一部変更した「宏川丸」(6,872トン)を建造し、さらに火災事故により放棄されたイギリス船籍貨物船を購入して大修理を行い、「靖川丸」(6,770トン)として更生させてニューヨーク航路に投入した。
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