深夜バスの運行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:38 UTC 版)
ベッドタウンの外延化と共に、利用者からは路線バスをもっと遅くまで走らせることに対する要望が強くなっていた。神奈中においても例外ではなく、1970年5月には入居開始されてから間もない鶴川団地の住民から最終バスを延長するよう申し入れがあった。神奈中ではこの要望への回答として、同年7月27日より鶴川駅→鶴川団地行きのバスについて23時10分と23時30分の深夜便を設定した。 この深夜バスは、通常の路線バスと異なるサービスを提供するという観点から、道路運送法24条の2「貸切自動車運送事業による乗合許可」を適用した貸切扱いとし、運賃を通常の3倍に設定して定期券は利用不可とした。 日本における深夜バスの運行は古くから行われており、1952年9月には阪急バスによって大阪 - 池田・宝塚および大阪 - 京都間で運行を開始しており、首都圏でも1964年には東京都交通局が東京駅~銀座・小滝橋・新宿方面を、1969年には首都圏近郊の民営バス8社によって6路線の深夜バスが運行を開始している。しかしながら、交通ジャーナリストの鈴木文彦氏は、この鶴川駅~鶴川団地における深夜バス運行を「日本で初めての深夜バス」と位置付けたことで、「神奈川中央交通が日本で初めての深夜バスの運行を開始した」であるという誤解が1990年代~2010年代にかけて広まった。 当日の第1便は8名の利用者よりも報道陣が目立った状態で、運賃設定などに反発した一部の住民が会員制の「自主バス」を運行したり、運賃制度について大学教授・利用者代表と会社役員がNHK番組で論戦を行うなどの動きもあったが、路線拡充や深夜バス運賃の据え置きや引き下げにより深夜バスに移行したため、1980年までに「自主バス」は廃止となった。 運輸省でもバスの終車延長には積極姿勢を見せ、1970年12月には「大都市周辺部の深夜バス運行について」という通達を出した。しかし深夜バスは、不規則労働となる乗務員に手当てを支払った上で採算性が確保できるかどうかの判断が事業者によって分かれる。このため関東地方に限っても、深夜バスを運行する事業者が大幅に増加するのは深夜の交通機関の確保について運輸省が再度勧告を出した1986年以降である。深夜バスの採算性を認めた神奈中においては、深夜バスの運行系統は年毎に増加し、東京都内の全事業者を合わせた深夜バスの系統数が約50系統となった1987年の時点で、神奈川県内では既に神奈中だけで50系統以上の深夜バスが運行されていた。
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