海賊となるまで
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「ウォルター・ケネディ」の記事における「海賊となるまで」の解説
ケネディは1695年ごろにロンドンのワッピング地区、ペリカン・ステアーズにて錨職人の父親のもとに生まれた。後にバーソロミュー・ロバーツが彼をアイルランド人と見なしていたため、アイルランド系であると思われる。ケネディの家は貧しく、教育を受けていないために読み書きが出来なかった。また手癖の悪さゆえに押し込み強盗などに手を染めていたという。しばらくは父親のもとで見習いとして働いていたが、老いた父の死を切っ掛けに海に出たとされる。その後、スペイン継承戦争で軍艦に乗り込んだ。そこで彼は海賊「ヘンリー・エイヴリー」やその他の海賊たちの話しに影響を受けて海賊になることを決心する(ちなみに、彼の誕生年とされる1695年はエイヴリーが財宝船を拿捕した年でもあった)。 ケネディはニュープロビデンス島に派遣されたウッズ・ロジャーズ総督が指揮する遠征部隊に参加し、海賊鎮圧の仕事を得るが、彼の実際の目的は海賊の仲間になることであった。ケネディと目的を同じくする5人の仲間たちはスループ船バック号に乗り組み、海賊稼業に乗り出した。これらの仲間の中にはハウエル・デイヴィス、トマス・アンスティス、デニス・トッピングらが含まれていた。
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海賊となるまで
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ジョン・ゴウはオークニー諸島で生まれ、船乗りとして軍艦や商船で働いていた。1724年6月、ゴウはフェルノー船長が指揮する砲20門のギャレー船ジョージ号に二等航海士兼砲手として乗り組み、ロッテルダムから出港した。ゴウは当初からこの船を乗っ取って海賊稼業に乗り出そうと企んでおり、軍艦時代の仲間と共謀してあらゆる工作をしていた。ところが別の乗組員にこの計画が発覚し、軍艦時代の仲間が下船させられてしまう。しかしフェルノー船長は強欲で意地が悪く、たいへん評判の悪い男であった。彼は乗組員にわずかな食事しか与えず、乗組員たちは彼に不満を募らせた。ゴウはこれを煽って乗組員と船長の溝を深めようと画策したが、フェルノーは謀反を企む者は容赦なく罰すると怒り、少しも態度を軟化させることはなかった。結局、一部の乗組員はフェルノーへの恨みから謀反を決意し、ゴウの計画に乗ることになった。 10月13日、積荷の運搬を終えたジョージ号はサンタクルスの港を出港した。血なまぐさい計画はその日の夜に実行された。手始めとして、ゴウの仲間たちはフェルノーに忠実な者たちの寝室に忍び込んでナイフで喉元を掻き切った。さらに甲板で見張りをしていたフェルノーを船外に投げ出そうと揉み合いになり、ゴウが彼の腹をピストルで撃ち抜いた。喉を切られた者たちもすぐには死なず、甲板に這い上がって来たが、ジェームズ・ウィリアムズという男がピストルで撃って止めを刺した。シュリヴァンという人物は死ぬ前に祈りを捧げさせてほしいと懇願したが、彼らは「うるせえ、今は祈りの時間なんかじゃねえ」と言い、即座に射殺してしまった。他の乗組員たちも船室で捕われ、悪党一味は一切の抵抗なく船の乗っ取りに成功した。船長に選ばれたゴウは全員を甲板に集め、「今後、貴様らが一緒になって何かを相談しているのを見つけたら、死んだ奴らと同じ目に遭うと思え」と言った。
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海賊となるまで
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「バーソロミュー・ロバーツ」の記事における「海賊となるまで」の解説
ロバーツは1682年、南ウェールズのペンブルックシャーに誕生したとされる。少年のころに水夫となったようだが前半生はよく分かっていない。出生名はジョン・ロバーツであるが、バッカニアのバーソロミュー・シャープにちなんで改名した説がある。 1719年11月、ロバーツはイギリスの奴隷船「プリンセス」号に二等航海士として乗り組み、ロンドンを出港した。翌2月、西アフリカ沖で西インド諸島に運ぶ奴隷を積み込んでいるさい、同じウェールズ出身の海賊ハウエル・デイヴィス(1719年に死去)に捕われ、海賊の一味とされた。 ロバーツは当初この稼業をひどく嫌っていたが、他の多くの者と同様、出世できるという理由で受け入れるようになる。キャプテン・チャールズ・ジョンソンの「海賊史」において、ロバーツはこう語ったとされる。 「まっとうな船に乗り組んだら食事は僅かで給料も安いうえに仕事はきつい。それにくらべてこの商売は腹いっぱい食えるし、楽しみや自由、力がある。いちかばちかの仕事をしくじっても、少しばかりの苦渋を飲めばすむ。どっちの稼業が得か勘定するまでもないだろう。楽しく短く生きるのが俺の主義だ」
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