海賊になるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 03:41 UTC 版)
「ハウエル・デイヴィス」の記事における「海賊になるまで」の解説
デイヴィスはモンマウスシャーもしくはペンブロークシャーのミルフォードに生まれた。彼は、ギニア海岸へ行く「カドガン号」に一等航海士として乗り込んだ。ギニア海岸のシエラレオネにたどり着いた一行はそこで海賊のエドワード・イングランドに拿捕され船長は惨殺された。デイヴィスは仲間になるよう薦められたが断った。その勇気に感心したイングランドは、デイヴィスを船長にするようにと言い、手紙を渡した上で彼らを船に戻して解放した。その手紙には船やその積み荷をデイヴィスや乗組員の物とすることや、ブラジルでその積み荷を売り皆でその財を平等にわけるように、と言うことが書かれていたが乗組員はその手紙に反発しデイヴィスは乗組員を中傷した。その後デイヴィスは、乗組員たちに自由に何処にでも行くようにと言った。乗組員はバルバドス島に向かいそこでデイヴィスに中傷されたことや船長が死亡したことなどを報告した。それによりデイヴィスは3カ月間拘束された。 デイヴィスは拘束が解かれた後海賊たちの仲間になるために海賊の巣窟であるプロビデンス島に向かったが、海賊たちはウッズ・ロジャーズ総督に降伏し国王の許しも受けていた。デイヴィスは、ロジャーズ船長の2隻の貿易船の内の1隻である「バック号」に乗り込んで職を得た。貿易のため、フランス領マルティニク島に寄港したがそこでデイヴィスは反乱を起こし船を乗っ取った。海賊仲間に加わらない者は上述した2隻の貿易船の内のもう1隻である「マンヴィル・トレーダー号」に乗せられた。その後デイヴィスは海賊たちの会議で船長に選出され、掟の策定や全世界に対して宣戦布告をするという意見表明を行った。
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