水売りから軍人へとは? わかりやすく解説

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水売りから軍人へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 16:28 UTC 版)

靳雲鶚」の記事における「水売りから軍人へ」の解説

山東省兗州府鄒県嶧山鎮(中国語版出身。父は靳長生、母は邱氏。幼くして父を亡くし、兄の靳雲鵬とともに売った運送業行って生計立てていたが、14歳の時、尚書息子をはねて罪に問われそうになったため、兄の靳雲鵬と母とともに夜逃げし済南へたどり着き、染布で生計立てる。1898年17歳のとき袁世凱天津小站で編成した新建陸軍の当砲兵となる。2年後1900年、保成速成参謀学堂入学卒業後、江北清江浦の陸軍13混成参謀官、蘇州混成参謀官を歴任した辛亥革命時、北洋第1軍総統官:馮国璋段祺瑞、総参謀徐樹錚参謀として武漢三鎮鎮圧参加中華民国成立後保定北洋第2路備補軍混成団団長1914年民国3年8月陸軍第8混成旅への改編に伴い第2団長となり河南省信陽移駐護国戦争第三革命)後は安徽派に属する。1919年民国8年)に第8混成旅旅長に昇進引き続き鄭州駐屯また、5個営を信陽駐屯させた。同地には趙雲率い第3隷下の第6団の一部駐屯していたが、同年8月ごろから給料支給停滞していた。そんな中1920年民国9年)春、靳雲鶚部隊のみ兄の靳雲鵬を介して河南督軍趙倜より5万元の資金援助受け取っている事が判明したため、4月4日趙雲竜の部隊暴動が起こる(信陽兵変)。靳雲鶚隷下団長王允忠を鎮圧に向かわせたがうまく行かず6日には靳雲鶚も1個営を率いて鎮圧あたった11日20名とも)。この兵変で80棟~350棟が放火略奪被害を受け、民間人80人以上が殺害された。被害総額200元に上った7月安直戦争安徽派敗北すると、直隷派転じ呉佩孚配下となる。1921年民国10年8月の湘鄂戦争では蕭耀南の第25とともに漢口進出。前敵総指揮に任ぜられ、8月19日趙恒惕と汀泗鎮で激戦展開し22日占領するも、将兵半数を失う。疲弊した靳雲鶚公山(中国語版)でしばし療養を行う。同地公共租界外国人人気避暑地で、多く別荘建てられていた。靳雲鶚はそれらに反感持ち山頂に「頤廬」と呼ばれる別荘建てた1922年民国11年4月第1次奉直戦争勃発すると、視察赴いた11師長馮玉祥とその隷下の第22旅旅長の張之江・第24師第47旅旅長の王為蔚とともに鄭州趙倜動向目を光らせていたが、5月5日夜、趙倜の弟の趙傑率い80個営が鄭州包囲馮玉祥増援連れてくるまでの間、張之江が前敵総指揮となり防御徹した。しかし、鄭州事実上いた部隊は王為蔚が1個団、張之江が2個営、靳雲鶚至って補充され新兵見習軍官ばかりの1個営で戦力とはなり得ず城内後方防衛徹した間もなく劉郁芬宋哲元の2団、胡景翼陝西陸軍第1師、蕭耀南の2個旅団王都慶の第21混成旅、藩守蒸の第1旅)が到着し鄭州解囲された。10日王都慶の第21混成旅と共同して信陽向かい、両河口占領、翌11日には長台関、明港を占領した同年6月には魯山県匪賊の張慶(老洋人)が2万人扇動し暴動山起義(中国語版))が起こる。張慶らは一旦安徽省撤収したが、11月頭に再び河南省戻ってきたため、靳雲鶚呉佩孚より河南全省剿匪総司令に命ぜられ、16日駐馬店で剿匪司令部置いて鎮圧あたった1923年民国12年)、鄭州の第14師長昇進し将軍府驍威将軍任命された。鄭州警備司令兼任同年二・七スト中国語版)を呉佩孚の命で武力鎮圧した。1924年民国13年9月第2次奉直戦争参戦し山海関九門口の間の角山寺・二郎廟などに布陣したが、直隷派敗北とともに下野する。

※この「水売りから軍人へ」の解説は、「靳雲鶚」の解説の一部です。
「水売りから軍人へ」を含む「靳雲鶚」の記事については、「靳雲鶚」の概要を参照ください。

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