欧州の兜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:04 UTC 版)
古代ギリシャの「カタイーチュクス」という兜は、青銅製で革に猪の牙を張ったものであった。映画などで有名な、T字型の鼻あてを持ち、鶏冠や孔雀のような羽飾りを持つ古代ギリシャの兜は「コリュス」、もしくは「コリント式」兜と言われ、ローマ時代になって耳が露出し開口部も大きく取られ命令や周囲の状況がよくわかるように改善された。これらは青銅で作られ、場所や時代によって様々なデザインが異なる。一体型のコリュスは後に改良され、帽体、頬当て、うなじあてに分割されるようになる。 ヴァイキングの兜は半球形か、頭頂部の尖った砲弾型をしており、前から後ろへ峰のあるものに、眼鏡状の顔当てをつけた物が多い。中世ノルマン人も同様に半球形、頭頂部の尖った砲弾型、前から後ろに峰のあるものを使ったが、こちらはネイザルという長い鼻当てを付けた。後頭部は鎖によって覆われていた。日本人はこの長い鼻当てはあまり必要の無いように思われるが鼻の高い欧米人には簡単ながらも防御性のある構造だった。 イングランド北部にある遺跡、サットン・フーの出土品の中には 人の顔を模した面が付けられた兜が出土しているが、全世界的に見て、こういった豪華な装飾が施されたものは 王族や将軍などが身につけていたか、祭典・儀式に使われたものが多いと言われている。たてがみやツノといった 装飾は、強そうに見えたり、見た目の良さや威厳の象徴としては効果的だが、実際の戦闘には邪魔になるだけだからである。 それからしばらくすると、グレートヘルム、バレルヘルムと呼称される、バケツ型、樽型兜が出始める。円筒形で目と呼吸口はスリットになっており、十字軍が好んで着用し、大きく縦と横に二本の線が入った十文字の装飾がされる場合もあった。顔全体を覆う事によって、過去の兜に比べ防御性能は格段に上がったが、一方で視界は大きくさえぎられてしまい、熱がこもってしまうという欠点を持っていた。このタイプの後期には蝶番で顔が開くものが出ている。 鉄板と鎖を繋げて作られる鎧、チェインメイルが板金にとって替わられるようになると兜も変化した。バケツ型は再び砲弾型になり、バシネット(en:Bascinet 水鉢の意)と呼ばれる。 顔面は鳥のくちばしのように円錐状に突き出ており、これを犬面(独:フントスカル)と呼んだ。この形状は正面からの攻撃をそらすのに有効であり、またここに空間を持つことで呼吸が楽になる。顔面部分(面甲)は可動させて不要なときは跳ね上げておくこともでき、取り外すことのできる物もある。こうした尖った意匠は当時のドイツ甲冑における著しい特徴でもあった。 一般的に、 カマイユ(Camail)と呼ばれる鎖錣をつけている。このカマイユに鼻当てをつけて額の部分と連結させるものもある。 しかしこういった複数のパーツからなる兜は当然ながら高価で、すべての兵士に支給されたわけではなく 先述したように視界が狭いため、一般的な兵士はもっと簡単な作りの兜(例えばケトルハット 英: en:Kettle hat )を着用していたようである。 中世後期、全身を覆うプレートアーマーが登場すると、兜も頭部を完全に覆うようになり、特にサーリット(独:シャーレルン)が一般的な兜として普及した。深い鍋を逆さに似たような形状で、鼻の下、もしくは顎まで覆われたフルフェイス型になっており、細いスリットを通して視認する。この場合、首を防護するためにハイネック型になっている鎧を着用するか、ゴルゲットと呼ばれる頸鎧を装着する。これらは防護性が増した反面、運動性や周囲の状況の視認性に劣り、戦いは集団戦から騎士が個人の名誉を掛けて闘う個人戦に移行して行った。 中世晩期、16世紀から17世紀にかけては、アーメット(en:Armet)と呼ばれる 人の顎と干渉することで顎紐が無くとも兜が脱げ落ちないように設計されているものがあり、これを総称してクローズド・ヘルムと呼ぶ。 クローズド・ヘルムにはバーゴネットと言う縦長のスリットがついた部位がある。上のスリット部分と下の顎部分があり、それぞれを別々に稼動させ、上下のほかに前に突き出したり、観音開きのように開くものもある。
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