欧州の協調と対独抑止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 17:32 UTC 版)
第二次世界大戦直後、東西冷戦と並ぶ欧州の大きな問題は、ドイツが三度戦争を起こさないようにするにはどのように抑え込めばいいかというものだった。当初はアメリカなどの一部でドイツの徹底した脱工業化・非ナチ化が構想されていた(モーゲンソー・プランも参照)。また連合軍占領下ではドイツは武装解除され、小規模な国境警備隊や機雷掃海部隊以外の国軍を持つことは許されず、米ソ英仏の四カ国が治安に責任を持っていた。 こうした流れは冷戦の開始とともに変わることとなる。ソ連に対抗すべく西ドイツ経済の復興が求められると同時に、西ドイツの再軍備も検討されるようになった。主権回復後の1950年、西ドイツは再軍備の基本構想策定を解除され新たな「ドイツ連邦軍」の創設準備を始めた。 一方、周辺の西欧諸国はブリュッセル条約を締結して対独抑止を図ったほか、ヨーロッパが西ドイツを制御できなくなることを防ぐため、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)によって軍需物資である石炭と鉄鋼の産出を西欧諸国で共同管理する仕組みが作られた。また西欧とアメリカは北大西洋条約機構(NATO)を結成することでソ連・東欧への対抗とドイツ抑え込みを行うことになる。しかしフランスはドイツ連邦軍の創設と西ドイツのNATO加盟に反対し、西ドイツも含む西欧諸国が超国家的な汎ヨーロッパ軍を構成する「欧州防衛共同体」(EDC)構想を打ち出した。この構想では西ドイツが作る部隊は西ドイツ政府ではなくEDCの指揮のもとに置かれ、西ドイツの防衛はEDCが責任を持つこととなっていた。この構想は1952年に西ドイツを含む西欧各国間で調印されたが、主権を侵されることをよしとしないド・ゴール主義者たちの反対により1954年に当のフランス議会で否決され、批准に至らなかった。結果、フランスも西ドイツの再軍備とNATO加盟を認め、ドイツ連邦軍は1955年11月12日に正式に誕生した。
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