学校法人梅花学園
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梅花学園(ばいかがくえん、英称:Baika Gakuen)は、幼稚園、中学校、高等学校、大学及び大学院を有するキリスト教主義学校。幼稚園が共学となっているのを除き、一貫して女子校となっている。
概要
澤山保羅(さわやまぽうろ)が、同郷である成瀬仁蔵(後に日本女子大学を創設した)の協力を得て創立した。 創立に際して宣教師団の出資を受けず、梅本町教会(今の大阪教会)と浪花教会の信徒が共同で出資したため、両教会の名称から一文字ずつとって梅花女学校と名付けられた。それゆえに、ミッションスクールではない。
澤山の好んだ聖句「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイによる福音書7章12節)がスクールモットーとなっている。
梅花女子大学は西日本における児童文学研究の拠点として著名(「東の白百合、西の梅花」とも呼ばれる)。
また、チアリーディングでも有名であり、ジャパンカップ日本選手権大会優勝や、世界選手権大会代表選手参加メンバーとしての優勝実績がある。
2016年には梅花歌劇団「劇団この花」を創設し、芸術と学問の融合を目指している。
歴史

- 1878年1月 大阪市土佐堀裏町に梅花女学校として設立
- 1913年 梅花高等女学校設立(高等女学校令による)
- 1914年 梅花女学校専門部設立
- 1922年 梅花女子専門学校設立
- 1930年 梅花幼稚園設立
- 1950年 梅花高等女学校は梅花中学校・梅花高等学校へと変更(学制改革による)。同時に、梅花女子専門学校は梅花短期大学となる
- 1964年 梅花女子大学設立
- 1977年 梅花女子大学大学院を設置
- 2004年 梅花短期大学が梅花女子大学短期大学部に変更
- 2016年 梅花歌劇団「劇団この花」設立
- 2018年 学園創立140周年記念行事を実施
理事長・学園長
- 理事長:小坂賢一郎
- 学園長:近藤十郎
キャンパス・設置校
外部リンク
梅花女学校
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伝道活動を行う一方で女子教育にも携わり、明治11年(1878年)に成瀬仁蔵の協力を得て梅花女学校(現在の学校法人梅花学園)を設立。成瀬に梅花女学校を託した。同年4月に、沢山は田島たかと梅花女学校で結婚式を挙げた。 1879年10月21日父源之丞が死去する。臨終の床で信仰を告白して、保羅から受洗した。父の臨終に立ち会った母いわと弟雄之助もキリスト教信仰をもった。沢山は母を大阪に引き取り、弟雄之助を同志社に入学させた。 1979年から岸和田地方の伝道に取り組んだ。岸和田は旧藩主岡部長職の依頼で、松尾敬吾を定住伝道者として伝道を始めた。1885年(明治18年)9月に岸和田教会が設立された。 1878年2月には浪花教会員が天満地区へ福音宣教をしたことをきっかけに、1880年に沢山を兼任として教会を設立した。しかし、1881年1月には、病床にあった沢山が牧師を辞職した。 1879年に沢山の病状は悪化して1881年10月には次女ちかが生まれた。しかし、12月にはちかを亡くした。1881年11月には母いわが死去して岩崎墓地に埋葬された。
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