桶狭間古戦場跡
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桶狭間古戦場跡(おけはざまこせんじょうあと)は、名古屋市緑区桶狭間北3丁目(旧有松町大字桶狭間字ヒロツボ)にある史跡である。現在は「桶狭間古戦場公園」として整備されている。 1608年(慶長13年)の『尾州智多郡桶廻間村御縄打水帳』は、この付近を「いけうら田面」と呼び、1町1反2畝9歩(約1.11ヘクタール)の深田が存在していたことを示している。そして「いけうら田面」の脇に台地があり、古くから田楽が奉納されてきたこの地は「田楽坪」と呼ばれたという。「いけうら田面」一帯の深田は洞迫間で最も初期に開墾されたものと判明していることから、1608年(慶長13年)から48年前の桶狭間の戦いの折りにも存在していたと考えられ、今川義元や残党が深田に足をとられて討ち取られたのはこれらの深田であったというのが、大字桶狭間側の古くからの主張である。 『尾張徇行記』(1808年(文政5年))などによれば、「いけうら」はそのまま田面の字として残り、ヒロツボ、牛毛廻間、幕山あたりの広い範囲をいったようである。享保年間(1716年 - 1735年)に尾張藩の開田奨励策によって、「田楽坪」と呼ばれた台地を含めた広範囲が開墾され、この頃に「いけうら」の字名も「ひろつぼ」に変わっているが、「田楽坪」の台地にあった「ねず塚」と呼ばれる10坪程度の塚は、そこに立つネズに触れると熱病にかかると恐れられたことからそのまま深田の中に残されている。昭和時代初期に「桶狭間古戦場」と記された標石(「文化13年(1816年)建」という銘を持つ)が鞍流瀬川の底から発掘されるなどし、地元ではこの「ねず塚」を中心とした田楽坪を桶狭間の戦いの主戦地として捉えるようになり、1933年(昭和8年)には梶野孫作がこの地に「田楽庵」を建て、桶狭間史蹟保存会を組織して座談会などを催すようになる。また1950年代には「駿公墓碣」と彫られた粗末な石碑が発掘されたりもしている。 2010年(平成22年)、桶狭間の戦いから450周年にあたることを記念して公園の改修が行われ、「近世の曙」と呼ばれる今川義元・織田信長両人のブロンズ像のほか、合戦当時の地形・城・砦、今川・織田両軍の進路などを配したジオラマが築造されている。 アクセスは、名古屋市営バス幕山停留所(北緯35度3分22.4秒 東経136度58分13.3秒 / 北緯35.056222度 東経136.970361度 / 35.056222; 136.970361)より南東へ徒歩約5分以内。なお、豊明市が運営する「ひまわりバス」のバス停留所に「桶狭間古戦場公園」が存在するが、これは豊明市栄町南舘にある「桶狭間古戦場伝説地」の近在にあるもので、大字桶狭間の桶狭間古戦場跡へのアクセスにはならないので注意が必要である。 桶狭間古戦場の碑 桶狭間古戦場の碑(おけはざまこせんじょうのひ)は、昭和時代初期に鞍流瀬川の川底から引き上げられた石碑である。正面には「桶狭間古戦場」、背面には「文化十三年丙子五月建」とあり、途中で欠損しているために以降の文字は不明だが、製作年は1816年(文化13年)とみられる。 駿公墓碣 駿公墓碣(すんこうぼけつ)は、1953年(昭和28年)に「ねず塚」の中から発見された製作時期不詳の石碑である。敗軍の将を弔うことをはばかった当時の村人が、塚に墓石を埋め、密やかに供養したものと考えられている。 桶狭間古戦場田楽坪の碑 桶狭間古戦場田楽坪の碑(おけはざまこせんじょうでんがくつぼのひ)は、1933年(昭和8年)5月に梶野孫作によって建立された石碑である。今川方先鋒として布陣し戦死を遂げた部将松井宗信の子孫で、大日本帝国陸軍大将であった松井石根が当地を訪れた際、揮毫を行っている。 義元公首洗いの泉 義元公首洗いの泉(よしもとこうくびあらいのいずみ)は、討ち取られた今川義元の首を洗い清めたとされる泉である。「義元水汲みの泉(よしもとみずくみのいずみ)」ともいわれる。桶狭間が桶狭間と名付いたいわれのひとつとされる、桶がくるくる廻る伝承を持つ泉でもあり、1986年(昭和61年)に区画整理が行われるまで、水が豊富にわき出る場所であったといわれる。 馬繋ぎのねずの木 馬繋ぎのねずの木(うまつなぎのねずのき)は、今川義元がこの地に着陣した時に、泉の水を飲むために馬の手綱をつないだといわれるネズである。触れると熱病にかかるとも言い伝えられ、「ねず塚」と共に長らく残されてきたが、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風の折りに1週間ほど冠水した末に枯死し、現在ではこの枯木が公園内に残されている。 義元公墓 義元公墓は、1934年(昭和9年)に建立された今川義元の墓碑である。 桶狭間古戦場の碑(2012年(平成24年)10月)。 駿公墓碣(2012年(平成24年)9月)。 義元公首洗いの泉(2012年(平成24年)9月)。 馬繋ぎのねずの木(2012年(平成24年)9月)。 義元公墓(2012年(平成24年)9月)。
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