東日本大震災を経て本格的な活動へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:15 UTC 版)
「きいやま商店」の記事における「東日本大震災を経て本格的な活動へ」の解説
その後、それぞれのバンド活動に戻るため、福岡と東京に戻ることになるが、2010年にだいちゃんが東京で結婚し子供も産まれ、1年間は東京でも頑張っていたが、東京の生活も決して楽ではなく、だいちゃんの「子供が1歳になる前に、島に戻りたい」との希望を受け、2011年3月10日に「だいちゃん さよならライブ」を行なった。翌日3月11日の朝の便で石垣島に帰るが、飛行機に乗っている間に同日発生した東日本大震災が発生しており、迎えに来た父親より震災のことを聞かされた。よって、だいちゃんは震災の体験を全く体験していないとのこと。 マストは所属バンド「ノーズウォーターズ」の東名阪ツアーが始まる為名古屋に向かっていたが、名古屋に到着した際に揺れを感じ、その後テレビのニュースで震災のことを知った。リョーサは3月10日のライブの為に東京にいたが、「次の日、何かあるだろう」と思い、ライブ後に帰るのが勿体ないと感じたため、12日に福岡に帰ることを計画していた。しかしライブの打ち上げで、マストは翌日からノーズウォーターズのツアーで東京にいないことを聞かされた。びっくりしたリョーサだったが、打ち上げに出席していた友人より「東京スカイツリーを見てきたら?」との提案を受け、まだ開業前の東京スカイツリーを一人で見に行った。行った際に入店していた近くのファミリーレストランにて食事をしていた時に大きい揺れを感じ、その後東京スカイツリーの高さよりも離れた公園に一人避難し、しばらく過ごしていた。 しかし電車もバスもすべて止まっていた為、当時のマストが住んでいた上石神井まで5時間以上かけて歩いて、無事にマストの家に帰宅。その後マストの部屋の惨状を目の当たりにし、リョーサはマストに「絶対に東京に帰ってくるな」と連絡を取った。しかしマストは名古屋と大阪公演は行い、その為「震災の時に、ツアーをしている場合ではない」と批判を受けていた矢先、THE BOOMの宮沢和史からも「東京はやばいことになっており、東京に戻らず、ツアーを中止しすぐに島に帰れ」との連絡をもらい、マストはその後の音楽の仕事をキャンセルし、マストは島に戻った。(この石垣島への帰還を期に、だいちゃんとマストは、島に定住することになる。)メンバーは3ヶ月ほど何もせずに島で過ごしていたが、その頃には石垣でのきいやま商店の知名度も高くなっていた。 石垣島にいる間の2011年6月にマストは、ふときいやま商店が行っていたライブを思い出し、「自分も楽しかったし、自分が初めて音楽を始めた時の楽しさに似ている。」と思い、その後「こうした中でも、きいやま商店はやった方がいい。」、「自分のバンドとお客さんの盛り上がり方が違う。きいやま商店なら、もしかしたら本当にNHK紅白歌合戦に行けるかもしれない、最後のチャンスかもしれない。」と思うようになる。マストは石垣島に戻ることを決め、東京の家を引き払う為に東京に戻った際、所属バンド「ノーズウォーター」のメンバー平安山に「きいやま商店なら、紅白に出られるかもしれない。ノーズを休むことになるが、本格的に活動したい。」と相談したところ、平安山より「自分もそう思う。きいやまなら、紅白に行けるはず。」と快諾された。 その想いをメンバーに相談し、これを受けて、リョーサとだいちゃんもそれぞれ所属していたバンドメンバーに相談し、了解を得たあと、所属バンドと並行する形になるも、本格的にきいやま商店を始動することとなる。尚、だいちゃんは石垣島に戻り「テレビゲーム好きが集える喫茶店」を開店するための準備に入っており、ほぼオープン直前になって、マストよりきいやま商店の活動に誘われたそうである。 その後3人で自主的に2011年6月に石垣島の老人ホーム、デイケアサービス施設、石垣市役所前等で、毎日ライブを行なうこととなった。その石垣島でのライブの後「とりあえず3ヶ月頑張ろう」と2011年7月から3ヶ月、「沖縄合宿」と名付けた沖縄本島での共同生活を3人でスタートさせた。これが功を奏して仕事も増え、結果的には本島での合宿も2年を超えることとなった。沖縄での共同生活となったのは、だいちゃんが沖縄本島に行かずに東京にいきなり出てきてしまい、本島には縁がないと感じ、「沖縄の人にも応援してもらおう」という理由からである。その際の宿泊先は、現在所属している事務所が用意した。 合宿中はほぼ毎日各地でライブを開催し、2011年9月23日にアルバム『沖縄ロックンロール』の発売を記念したライブ『きいやま商店 CD発売記念ライブ』をミュージックタウン音市場にて行なったが超満員 となり、その後人気を徐々に獲得し、現在に至る。ライブは、多い時は1日4回もライブをやった日もあり、「裏で倒れていた。鍛えられた。」と語っている。尚、ミュージックタウン音市場のライブは、マストは当初無謀にも沖縄コンベンションセンターでライブを行なおうと計画したが、すでに使用の予約が入っていて使用出来なかった。
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