東日本大震災を受けての動き
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「TSUNAMI」の記事における「東日本大震災を受けての動き」の解説
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により甚大な津波被害が発生したことから、被災者や世間の感情に最大限に配慮する必要があったため、一時期テレビ・ラジオなどによる海や津波にまつわる放送を当面自粛するという状況になった。 このことについて、コラムニストで、サザンのファンである勝谷誠彦は本楽曲のことを「タイトルはTSUNAMIだが曲自体に罪はない」と説明し、震災から半年後となるニッポン放送『勝谷誠彦のこれがニュースだ!』2011年9月12日放送分のオープニングで敢えてオンエアをした。結果的に、公式サイトによると番組に寄せられた意見のうち99%が「よくかけてくれた」「改めていい曲であることがわかった」といった肯定的な意見だったという。 ジャーナリストの上杉隆は、TOKYO FM『TIME LINE』2012年1月4日放送分において本作品を取り上げ、「どうしても伝えたい思い」「歌詞をじっくり聴きなおし、かけるべきだ」として「日本社会において、本作に触れることがいけないようなムードになっていた」と言及し、「歌詞を見ると、これこそ3.11被災について最も必要な曲ではないか?」「犠牲になった、苦しんでいる方へのメッセージ、命を落とした人々からの2012年を迎えた私たちに対する、『忘れないでくれ』というメッセージがこもっているのではないか?」と持論を展開、敢えてオンエアをした。リスナーからの投稿により本件を知った桑田は震災から1年が経過した2012年3月10日放送のラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』の中で、上杉に深い感謝の意を伝えると共に「空気を読んだわけではないが、被災された方や遺族の中にはファンもいたからこの曲を歌うモチベーションにはつながらなかった」「いつか(東日本大震災の)悲しみの記憶が薄れてこの曲を歌ってくれという声があれば、復興の象徴として歌える日がきたらいいと思っている」と述べた。 東日本大震災を機に開設され、2016年3月29日に閉局した宮城県女川町の臨時災害放送局女川さいがいFMで放送されていた番組『大人のたまり場』の2016年3月25日放送分で1年前の2015年に「TSUNAMI」をリクエストする内容のメールがリスナーから届き、「この曲は震災とは関係なく、人を愛する感情を表現した名曲。FMの皆さんがかけてもよいと思ったら流してほしい」と書かれていたことをパーソナリティーが語り、「このリクエストがずっと気にかかっていました。必要なのは時間ではなく、一歩を踏み出すタイミング。このリクエストに応えずに最終回にするわけにはいかなかった。みんなで歌います」という意向で出演者とリスナーで歌唱した。また、2016年3月29日に女川町長の須田善明が生出演し、閉局にあたっての思いを語り、最後の1曲として、「震災後、自粛を余儀なくされてきたが、待ち望んだ1曲。女川さいがいFM閉局のタイミングだからこそかけられる1曲」「名曲がある。その曲に罪があるわけじゃない。歌い継がれ、語り継ぐことに意味があり、人々の心に届く」と想いを述べ、「TSUNAMI」をオンエアした。結果、それに対する抗議や非難の手紙・メールは一切なく、むしろ歓迎する内容のものが多かったという。 2018年のアルバム『海のOh, Yeah!!』にはディレクターの提案により1曲目として収録され、桑田もこの曲順で聴き「これはいいんじゃないか」と納得したという。このことを同年7月21日放送の『桑田佳祐のやさしい夜遊び』で触れた際には「しばらくこの曲はしまっておこうと思っていたんです」「ライブで歌わないということも、何かのメッセージになるんじゃないかと、実は思っていたんですけどね」「サザンとしては、スタッフも含めて、東北のことを忘れないし、まだ震災は終わっていませんから」といった旨を述べ、震災後初めて桑田の曲紹介により「TSUNAMI」がオンエアされた。 ライブでの演奏は現在のところ2008年の『真夏の大感謝祭』が最後であり、2013年にサザンオールスターズが活動を再開してからも、桑田は戒めとしてライブでの演奏を避けている状態にある。
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