本国近海・北海
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「ターター (駆逐艦・2代)」の記事における「本国近海・北海」の解説
第二次世界大戦が勃発すると、ターターは戦隊の僚艦と共に主力艦の護衛、封鎖突破船や通商破壊艦の要撃、そして対潜哨戒といった多くの活動を行った。11月24日、フェロー諸島沖海戦で仮装巡洋艦ラワルピンディがドイツ海軍の戦艦シャルンホルストとグナイゼナウに沈められた後、ターターは2隻を捜索する本国艦隊の艦艇を護衛。悪天候下での活動で艦体の傷みが激しかったため、12月に入渠整備を実施した。 1940年に入ると、ターターはノルウェーの戦いに伴いノルウェーに向かう輸送船団の護衛に従事する。3月には客船クイーン・エリザベスのニューヨークへの処女航海を駆逐艦モホークと共に護衛した。4月、ターターはHN24船団とHN25船団の護衛を行い、北海周辺のドイツ艦船捜索に参加。さらに損傷した重巡洋艦サフォークの帰還を護衛すると共に、オンダルスネス及びモルデから撤退する船団の護衛に従事した。以降は5月にかけてノルウェーから撤退する船団の護衛任務を継続。5月24日にターターのペナントナンバーはG43に変更されている。 6月上旬にターターはノルウェー沿岸で行動する空母アーク・ロイヤルを護衛した後、戦艦ヴァリアントらと共にオフォトフィヨルド地域から撤退する最後の船団を護衛する。空母グローリアスがドイツの戦艦グナイゼナウとシャルンホルストに沈められたため、6月10日に2隻の敵戦艦の捜索に参加するが空振りに終わった。駆逐艦ベドウィンとマシオナと共に対潜哨戒中だった6月19日には、雷撃されて沈んだ中立国ポルトガルの商船の生存者を救助。翌日、ターターとマシオナはフェロー諸島でスウェーデンの駆逐艦ロムルスとレムス(元イタリア海軍スピカ級水雷艇)を確保したが、外交交渉の末2隻は解放されスウェーデンに戻っていった。ターターは旗艦ソマリの入渠修理に伴い第6駆逐艦戦隊旗艦として行動したが、自らも舵の修理のため7月中旬に入渠することになった。 8月8日、ターターはジブラルタルに向かうH部隊(Force H)の艦艇を護衛し、9月5日には北海への機雷敷設任務にあたる第1機雷敷設戦隊(1st Minelaying Squadron)を護衛した。10月にデヴォンポートで大掛かりな改装を行い、漏水の修理を行うと共に3番砲(X砲)を対空能力強化のため4インチ連装高角砲に換装した。作業は12月に完了し、ターターはスカパ・フローで第4駆逐艦戦隊(4th Destroyer Flotilla)旗艦となった。 1941年1月から2月にかけて、ターターは北海への数回の機雷敷設作戦を支援した。3月にはロフォーテン諸島への特殊作戦であるクレイモア作戦に参加、コマンド部隊が乗艦した船団を護衛し、さらに上陸部隊の支援を行った。作戦は成功し、魚油の工場および3,600トンの魚油とグリセリンを焼き払った。作戦中の3月3日にドイツ船ベルンハルト・シュルテを沈め、3月4日にはドイツ海軍の武装トロール船クレブスを攻撃し捕獲した。船内からはエニグマ暗号機と重要文書が回収され、後にブレッチリー・パークでの暗号解読作業に大きく役立った。5月にはターターは北極海を行く援ソ船団の護衛に従事するが、この期間中にターターはドイツ海軍の戦艦ビスマルク迎撃戦に参加、ビスマルクの沈没に立ち会った。その後スカパ・フローへ帰投中だったターターとマシオナは、アイルランド西方でドイツ空軍機の激しい空襲に見舞われた。およそ50機のHe111とFw200による13時間におよぶ空襲の結果、多大な損傷を負ったマシオナは沈没 。ターターはマシオナの士官14名と兵員215名を救助してグリーノックへ送り届けたほか、対空戦闘によってHe111 1機を撃墜し一矢報いた 。
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