本圀寺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:05 UTC 版)
本圀寺事件は、八月十八日の政変前日の文久3年8月17日(1863年9月29日)に当寺において発生した事件である。河田景与をはじめとする鳥取藩の尊王攘夷派藩士22名が、彼らを危険視する宿泊中の側用人黒部権之助、高沢省己、早川卓之丞の3名を惨殺、翌日18日彼らの残書により加藤十次郎が自殺した。この事件は因幡二十士事件、因幡二十二士事件とも呼ばれる。一方、側用人4名にこの事件で殺害された早川の家来の藤井金蔵を加えた5名は本圀寺五烈士あるいは本圀寺事件五烈士と呼ばれる。暗殺者のうち5名は慶応2年8月3日(1866年9月11日)、被害者の遺族により島根県の手結浦であだうちされている。
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