廃藩以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 02:13 UTC 版)
明治4年(1871年)、廃藩置県により鳥取県となった。初代の権令(知事)には、本圀寺事件の首魁であった元藩士の河田景与が任命されている。池田家は明治17年(1884年)7月7日に、15代当主池田輝知が侯爵となり華族に列せられた。しかし明治23年(1890年)に亡くなり、従弟の池田仲博が婿養子となり16代として跡を継いだ。17代当主は長男の池田徳真(1904年 - 1993年)で、イギリス留学をきっかけにクリスチャンとなっている。著書を数冊刊行している。なお、姉の幹子は徳川宗敬の妻である。 18代当主は徳真の娘の池田百合子である。養子はいるものの家督を継ぐ者ではなく、百合子は当代限りで(旧鳥取藩主としての)池田家の終了を表明している。東京多磨霊園にあった鳥取藩主池田家の墓は、最後の藩主慶徳の東京移住を理由として大正14年(1925年)、仲博の時代に設けられていたが、こうした経緯により、平成15年(2003年)に鳥取市の大雲院に移築改葬され、「史跡鳥取藩主池田家墓所保存会」が設けられた。また、鳥取藩主池田家の分家(旧鹿奴藩主家)東館(ひがしやかた)池田家の墓も、東京都内から大雲院にある本家の墓所に移設され、同院で2010年5月15日、慰霊法要が営まれた。2007年2月に92歳で亡くなった東館池田家の13代当主池田仲親が生前、本家の墓所に合祀することを希望、3月に実現した。関係者は「ご先祖様が同じ墓に入ることになって良かった」と話している。
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