廃船の顛末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/31 23:03 UTC 版)
「希望 (高速フェリー)」の記事における「廃船の顛末」の解説
航路廃止後の2006年3月24日、清水港から係留先である横浜港に向かった。その後しばらくの間、同港に係留され売却先を探すことになった。 しかし県は、三菱重工業と締結していたガスタービンエンジンのリース契約を解除することで合意したため事実上、廃船が決定した。2007年2月19日、船体の売却先を決めるための入札が行われたが、参加した2者とも入札金額が予定価格の4,000万円に満たず、落札されなかった。その後、同年3月12日に落札予定価格を2,000万円に引き下げたうえで改めて入札が行われ、横浜市中区の不動産会社が落札した。 一方、同船のエンジンについては、県がアメリカの会社へ売却のための契約交渉を行っていた。しかし、船体の落札者は同月29日、エンジンの「買い戻し」が確認できるまでは購入契約を延期したいとの申し入れを行ったため、県は落札を無効とした。こののち県は、同船を中古船舶としてではなく廃船(資源)として処理することとなった。 同年5月、県は三菱重工業に対し本船を約658万円で売却した。県は、技術流失防止対策のほか解体費用の面などを総合的に判断した結果、同社への売却が最良の選択としていたが、同社は売却発表から5日後、同船を解体しないまま神奈川県内の産業廃棄物(産廃)処理業者に約4,000万円で転売した。これに対し、解体条件付で入札を実施しなかった県の対応に疑問を呈する声や、産廃処理業者の手に渡ったことで技術流出防止の目的が失われたとする指摘もある。
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