廃船、処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:15 UTC 版)
「千代田 (防護巡洋艦)」の記事における「廃船、処分」の解説
1926年(大正15年)12月20日、日本海軍は「千代田」を調査、老朽化が著しいため廃船が妥当と報告する。1927年(昭和2年)2月4日、廃船認許、同年2月28日、廃船。「千代田」は実艦的として撃沈処分されることになった。標的としての改造工事を実施。同年8月3日午前9時、佐伯湾(大分県)に昭和天皇(扶桑型戦艦2番艦「山城」乗艦)と護衛の峯風型駆逐艦(帆風、羽風、秋風、太刀風)が到着する。8月5日朝、佐伯湾には連合艦隊の主力艦艇多数が集結していた。午前10時、御召艦「山城」は佐伯湾を出港。同日午後、旧「千代田」は豊後水道沖合で空母鳳翔航空隊および水上機母艦能登呂航空隊の爆撃演習の実艦的となり、沈没した。沈没位置は北緯32度18分0秒、東経131度56分15秒。戦技終了後、昭和天皇一行(山城、帆風、羽風、秋風、太刀風)は佐伯湾へ戻る連合艦隊各艦(長門、陸奥)等と別れ、奄美大島(鹿児島県)へ向かった。長門に便乗して見学していた高松宮宣仁親王少尉も、配属先の「比叡」に戻った。 その後、撃沈される前に取り外した千代田の艦橋は海軍兵学校の号令台として使われていたが、敗戦後撤去された。
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