廃藩後の旧藩主板倉家との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 06:01 UTC 版)
「福島藩」の記事における「廃藩後の旧藩主板倉家との関わり」の解説
1884年(明治17年)、福島県庁を福島町から中通り中部へ移転させるという動きが起きた際に、その反対運動の先頭役である初代福島町長の鐸木三郎兵衛を熱心に支援したのが、最後の福島藩主板倉勝達子爵であった。勝達を含めた有力者の支援もあり、県庁移転運動は封じられ、福島県庁移転を阻止に尽力した。 現在、重昌系板倉家の祖である板倉重昌を崇神している板倉神社が福島城跡敷地内に所在する。9月上旬に執り行われる板倉神社例大祭において、福島藩主の子孫にあたる板倉家当主など関係者が出席している。また、板倉神社の修営にも携わっているなど、継続して福島市との関わりを持ち続けている。
※この「廃藩後の旧藩主板倉家との関わり」の解説は、「福島藩」の解説の一部です。
「廃藩後の旧藩主板倉家との関わり」を含む「福島藩」の記事については、「福島藩」の概要を参照ください。
- 廃藩後の旧藩主板倉家との関わりのページへのリンク