廃藩置県と地域再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 10:53 UTC 版)
「廃藩置県」も参照 1871年(明治4年)4月、4ないし5か旧町または7ないし8か旧村をして1区と改めて再び区分けを為して番組を廃す。年寄職を戸長、副戸長に改める。同年7月14日、廃藩置県が実施され、東京府は京都府、大阪府とともに三府の一つとされた。三府は、首都あるいはその代替地とされていた。 同年12月25日、東京府のほか現在の関東地方に存在していた各県が廃止され、武蔵国荏原郡と豊島郡、および多摩郡、足立郡、葛飾郡のそれぞれ一部を管轄区域とする東京府が改めて設置されることとなった。 ただし多摩郡は横浜に居留する外国人の遊歩区域に一部含まれるとの神奈川県知事・陸奥宗光の上申により、1872年(明治5年)11月23日に全域が神奈川県の管轄とすることに変更された。 旧来の東京府の区域については、1月8日に6の大区の下に97の小区を置き「大区小区制」が敷かれた。廃止各県からの行政の移管は3ヶ月ほどかけて順次行われ、1月14日に旧品川県、1月24日に旧浦和県、3月3日に長浜県(世田谷飛地)、3月16日に旧小菅県から各町村が編入された。この際、多摩郡の一部は品川県・長浜県から一旦東京府に編入されたが、3月1日に神奈川県に移管され、次いで10月12日に現在の中野区、杉並区の区域が東京府の管轄に戻る。これら編入された区域は旧県時代の区割りのまま呼ばれていたが、1873年3月18日に5の大区を設けて総計11大区103小区となった。 1872年(明治5年)、東京府は「戸籍法」の定めるところにより新府域に繰り込まれながらも地名の判然としなかった旧耕地に「有楽町」「霞ヶ関」「三田」など新町名を冠し、地券を交付した。1878年(明治11年)1月11日、静岡県から伊豆諸島を編入。 さらに同年11月、大区小区制を廃し「郡区町村編制法」により旧府域に15区を置く。同時に、旧葛飾郡域を「南葛飾郡」、旧足立郡域を「南足立郡」、旧多摩郡域を「東多摩郡」にそれぞれ改称させ、なおかつ旧豊島郡を南豊島郡と北豊島郡の南北2郡に分かち旧荏原郡を復活させて都合6郡を設けた。このうち東多摩郡と南豊島郡は1896年に合併されて豊多摩郡となった。 同年12月、第一回府会議員選挙が行われ49名が当選。第一回東京府会が開かれた。 1880年(明治13年)10月8日、内務省から小笠原諸島を引継ぎ、同年10月28日に出張所を設置する。
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