朝鮮半島からのボートピープルとは? わかりやすく解説

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朝鮮半島からのボートピープル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 07:25 UTC 版)

ボートピープル」の記事における「朝鮮半島からのボートピープル」の解説

第二次世界大戦前から戦後にかけ、朝鮮半島からは多く密航が行われ、密航組織密航者摘発頻繁に行われた1934年朝鮮人移入により治安失業率悪化したため、朝鮮人移入阻止するために朝鮮満洲開発を行うとともに密航取り締まり強化するための「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定した。 1938年末には、摘発され密航朝鮮人180人が強制送還されている。1939年1月には300人の密航朝鮮人強制送還された。2月には密航朝鮮人128人が一網打尽逮捕されている。3月には250余名朝鮮人強制送還している。このように余りに密航が多いため1939年春から日本内地への渡航取り締まり緩和するようになったが、6月22日までに日本内地への渡航証明下付出願者は40,485人に上り漫然渡航者として19,110人が論旨され、2,000人の密航者摘発されている。また、朝鮮人なかには渡航証明書偽造し売りさばき巨利貪るものもいた。第二次世界大戦中にも密航者増加し警察による摘発行われていた。こうした背景には当時内地朝鮮半島との賃金格差大きかった事が挙げられる第二次世界大戦後北朝鮮共産化朝鮮戦争混乱済州島四・三事件弾圧は、日本への難民/密航者大量に生んだ済州島四・三事件に続く麗水・順天事件の際にも、日本への密航者生み出された。済州島出自朝鮮人大阪市生野区中心に9万人以上になる。 マルハン韓昌祐会長作家のキム・ギルホなどが、密航日本入国した事を認めている。孫正義の父は、一族連れて1947年南朝鮮から密航船で日本へ移住した。 『朝日新聞1955年8月18日65万人警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち、密入国者が10万人を超えているといわれ、東京入国管理局管内(1都8県)では、この昨年中のべ1000人が密入出国で捕まった全国ではこのざっと10倍になり、捕まらないのはそのまた数倍に上るだろうという」また、朝日新聞1959年6月16日には「密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方マチマチだ」また、朝日新聞1959年12月15日天声人語韓国から日本逃亡してくる者は月平均五、六百人もある。昭和二十一年から昨年末までに密入国つかまった者が五万二千人、未逮捕一万五千人で、密入国実数はその数倍とみられるまた、産経新聞1950年6月28日には、「終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20から40万と推定され在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているとさえいわれる」という記事掲載されている。

※この「朝鮮半島からのボートピープル」の解説は、「ボートピープル」の解説の一部です。
「朝鮮半島からのボートピープル」を含む「ボートピープル」の記事については、「ボートピープル」の概要を参照ください。

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