朝鮮労働党創立者としてとは? わかりやすく解説

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朝鮮労働党創立者として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 22:32 UTC 版)

許哥誼」の記事における「朝鮮労働党創立者として」の解説

終戦後ソ連政府は自らの指導下にある朝民族共産党員たちを、自軍占領する北部朝鮮送り込んだ。彼らは当初ソ連側通訳官という立場に過ぎなかった。しかし彼らは絶対的な権威を持つソ連側との繋がり武器に、やがて同胞ある朝鮮人社会主導権を握ることとなる。こうした状況は「通訳政治」とも呼ばれる。そしてその通訳たちの中心占めたのが、かつて沿海州暮らし今は中央アジアの地に住む朝鮮人移住者高麗人たちであったソ連からのこうした高麗人派遣は、計画的組織的に行われ党組織などについての教育受けた高麗人たちが、続々と「母国朝鮮の地を踏んだ許哥誼という朝鮮式の名を名乗るようになったかつてのアレクセイ・ヘガイも、その一人であった。 彼らは権力中枢立った金日成――彼もまたソ連軍大尉軍歴を持つ広義の「通訳」の一人であった――とともに、この朝鮮の地に強力な社会主義国家建設すべく活動したとはいえ、その幹部目され人物たちは、社会主義者という共通点こそあれその出自経歴背景は様々であった金日成満州中心に活動したパルチザン出身朝鮮半島において長らく地下活動続けてきたものもあれば、中国共産党指導下にあるものもあった。その中で高麗人グループは「ソ連派」の名で呼ばれ実務経験豊富な許哥誼はその首魁見做された。 金日成は元々軍人であり党組織などの実務面には疎かったため、朝鮮労働党創立朝鮮民主主義人民共和国建国に当たり中心的な役割果たしたのは、許哥誼初めとするソ連派人物たちであった新たに組織され内閣においては許哥誼四人副首相一人就任し、後に党副委員長、党書記などを歴任した。「党問題教授」と呼ばれたことからも分かる通り党組織運営専ら彼の手に委ねられることとなったソ連派は、許哥誼初めとして、権力中心に立つよりは専門家として一歩引いた立場から実権握った建国当初各省庁の副相が、全てソ連派占められていたことはその象徴的な構図である。一方でにおいては中央委員四分の一政治局員三分の一占め、さらに各地方責任者ソ連派独占するなど主導権握った一方でそれは「派」という名に反して出自同じくするほかは緩やかな繋がりしか持たないグループでもあった。彼らのリーダー許哥誼であることは衆目一致するところであったが、それは必ずしもソ連派党員許哥誼個人忠誠を誓うことを意味しなかった。とはいえ後年金日成糾弾従えば、彼らは強い連帯意識を持つ厳然たる派閥」であり、許哥誼彼の功績によって建国され北朝鮮において、今やナンバー3地位占め最高幹部一人となっていた。

※この「朝鮮労働党創立者として」の解説は、「許哥誼」の解説の一部です。
「朝鮮労働党創立者として」を含む「許哥誼」の記事については、「許哥誼」の概要を参照ください。

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