朝鮮労働党組織指導部第一副部長として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 19:39 UTC 版)
「黄炳瑞」の記事における「朝鮮労働党組織指導部第一副部長として」の解説
2005年9月に朝鮮労働党中央委員会副部長(組織指導部)の肩書きで公式報道に初登場。2010年9月に朝鮮人民軍中将、2011年3月に上将に昇進していたことが確認されている。2013年12月の張成沢の処刑に重要な役割を果たしたと考えられており、この時点で、既に党組織指導部第一副部長の職にあり、同部第一副部長の権力序列は、金慶玉(キム・ギョンオク)、趙延俊(チョ・ヨンジュン)、黄炳瑞の順であったと見られていた。 2014年3月には党組織指導部第一副部長の肩書きが公式に判明し、同年4月15日の第1回飛行士大会で大将に昇進していたことが確認され、同年4月26日の朝鮮労働党中央軍事委員会と朝鮮民主主義人民共和国国防委員会の発表を報じた同月28日の朝鮮中央通信の報道により、次帥に昇進したことが確認された。
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