日本語における用例
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1980年 - 1981年に放送されたテレビドラマ『3年B組金八先生』第2シリーズでにおいて不良生徒を比喩した「腐ったミカン」という表現が用いられ、同ドラマの影響で日本では「腐ったミカン」の表現が定着した。 2019年には、学校法人追手門学院が2016年に開いた職員研修において外部コンサルタント会社の講師が受講者に過剰に厳しい言葉を浴びせたことで退職者、休職者が出た問題で、人格を否定するような言葉の一例として「腐ったミカン」が使われていたことが報じられた。 2020年には、Fortnite内ムービーで、当時手数料に関して対立していたAppleのことを「腐ったリンゴ」と表現していた。
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日本語における用例
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「恒産なくして恒心なし」の記事における「日本語における用例」の解説
河上肇は、1918年米騒動に際して『朝日新聞』紙上に連載した記事「米価問題」の中で、「梁惠王上」の当該部分を引用し、「彼は其を道徳的に是認した譯では無いが、只彼は、人間の性情に就て、明確なる認識を有して居たのである。是の故に彼は民の產を制し、萬民をして飢ず凍えしめざることを以て、明君政治の第一要件と爲したのである。」と論じ、暴徒の鎮圧を必要としながらも、政治の責任を強く指摘した。 この表現は、1925年の普通選挙法に至る普選運動に対し、制限選挙における納税要件を支持する立場から、用いられることもあった。1918年から1919年にかけての第41回帝国議会において、内務大臣であった床次竹二郎は、しばしばこの表現を用いて普通選挙は時期尚早とする議論を展開した。これに対して『大阪朝日新聞』は、第42回帝国議会の開会直前に「恒産と恒心 普通選挙と内相」という記事を出し、「恒産と恒心とが常に必然関係を有せざることは茲に贅言を要せず」と論じて床次を批判した。 1925年、『読売新聞』は、「我等の主張」欄で政党内閣の腐敗を批判する「政治商賣と正業と 恒心のために恒產を營め」と題した記事を掲げ、「理想を云はゞ、政治は奉仕でありたい。... その點で政治家や代議士の肩書に、無職、もしくは無職類似の人間の多い事は、それだけでも、我國政治の健全なものでない事實を証明するものだ。」と論じた。
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日本語における用例
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「ニヒル・アドミラリ」の記事における「日本語における用例」の解説
森鷗外は、小説『舞姫』(1890年)の中で次のように用いている。「日記ものせむとて買ひし册子もまだ白紙のまゝなるは、獨逸にて物學びせし間に、一種の「ニル、アドミラリイ」の氣象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。」 夏目漱石は、小説『それから』(1909年)の中で、「二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil admirari の域に達して仕舞つた。」と記し、「nil admirari」に「ニル アドミラリ」とルビを振っている。 芥川龍之介は、未完の小説『路上』(1919年)において次のように使った。「俊助はこんな醜い内幕に興味を持つべく、余りに所謂ニル・アドミラリな人間だった。」 蒲原有明は、自伝的小説『夢は呼び交す』(1947年)において次のように使用した。「鴎外にも弱点はあった。鴎外は自己を知り過ぎるくらい知っていた。その弱点というのは、自負の心である。消極的にいえば『舞姫』以来のニルアドミラリである。」
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