日本への伝播と普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 09:20 UTC 版)
日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、長江の中流地域において栽培作物として確立してから、栽培技術や食文化などと共に伝播したものと考えられている。日本列島への伝播については、いくつかの説があり、概ね以下のいずれかの経路によると考えられている。 江南地方(長江下流域)から九州北部への直接ルート、 江南地方(長江下流域)から朝鮮半島南西部を経由したルート、 南方の照葉樹林文化圏から黒潮に乗ってやって来た「海上の道」ルートである。 ただし、多様な伝播経路を考慮すべきとの指摘もある。 「稲作#日本への伝来」も参照 本格的に稲作が始まった時期は地域によって差があり、一説では最も早いのは九州西北部で弥生時代早期にあたる紀元前9世紀からとされ、初期の稲作は用水路などの栽培環境が整備された水田ではなく、自然地形を利用する形態で低湿地と隣接する微高地を利用していたとされている。杉田浩一編『日本食品大事典』によれば、水稲作の日本への伝来は縄文時代後期にあたる紀元前11世紀頃であり、本格的な栽培が始まるのは近畿地方では紀元前2世紀頃、関東地方では2世紀頃、本州北端では12世紀頃、北海道では明治時代以降であるとされている。 しかし、近年、縄文時代前期の遺跡から複数のイネ科植物の遺骸であるプラント・オパールが出土している。稲のプラント・オパールは20~60ミクロンと小さいため、雨水と共に地下に浸透することも考えられるため、即座に発見地層の年代を栽培の時期とすることはできないが、鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。 現在日本で栽培されるイネは、ほぼ全てが温帯日本種に属する品種であるが、過去には熱帯日本種(ジャバニカ種)も伝播し栽培されていた形跡(2005年2月、岡山市の彦崎貝塚で、縄文時代前期(約6000年前)の土層からイネのプラント・オパールが多量に出土した。同市の朝寝鼻遺跡でも同時期の発見例があり、縄文時代前期から畑作によるイネの栽培が始まっていた可能性が高まった)ともみれるが、他地域で栽培されたものが持ち込まれた可能性も否定できないとの見解もある。また、2008年国立歴史民俗博物館の研究者らは、岡山県彦崎貝塚のサンプルには異なった時代の付着物もあったことから、時代測定資料の選別は慎重に行うべきであるとしている。
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