日本への仏教伝来と戒律とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日本への仏教伝来と戒律の意味・解説 

日本への仏教伝来と戒律

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 21:37 UTC 版)

日本仏教の戒律史」の記事における「日本への仏教伝来と戒律」の解説

日本における戒律最古の記録は、『日本書紀』崇峻天皇元年588年)である。それによれば如蔵尼らは戒律を学ぶために百済渡り受戒し2年後帰国した。ただし善信尼らは年齢的に正式に受戒したとは考えられていない『日本書紀』推古天皇32年624年)には、ある僧が祖父を斧で殴った事件について記されている。この時、観勒が「この国の僧尼はいまだ法律戒律)に習熟していない」と訴え許されたと記されているが、これは当時僧尼戒律的に無秩序であった様子を表すと考えられる。この時に、のちの僧綱制度につながる僧侶管理機構確立されたと考えられるが、戒律の面からどこまで指導がされていたかは明らかではない。また大化元年645年)には、孝徳天皇仏法興隆を勅し十師任命した記されるが、これは唐の十大徳倣ったもので、授戒を行う十師とは別であると考えられる7世紀中頃になると遣唐使多くの僧が同行するうになる白雉4年653年)に入唐した僧の1人である道光は、道宣の『行事鈔』を将来し、『依四分律撰録文』を著して律師地位就いたこの頃から『四分律』による戒律研究が行われたものと考えられている。また7世紀後半になると浄行者や蔬食(肉食をしない)持戒護持する者の出家許される記録がみられ、戒律関心寄せられるようになっていたと考えられる8世紀至って中国にならい律令制導入されると、僧尼令編まれる僧尼令は唐の道僧格に基づきつつ国内事情合わせて改変されたと考えられる具体的な内容として『四分律』などの影響みられるが、全体として僧尼自主自立認めず政治的な統制下に置こうとする目的が明白とされる。これについて石田瑞麿は、僧尼自身戒律的に無統制規範であったことの現れとしている。こうした中で行われていた受戒は、三聚戒通受で、例外的ではあるが自誓受戒行われた考えられる

※この「日本への仏教伝来と戒律」の解説は、「日本仏教の戒律史」の解説の一部です。
「日本への仏教伝来と戒律」を含む「日本仏教の戒律史」の記事については、「日本仏教の戒律史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本への仏教伝来と戒律」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本への仏教伝来と戒律」の関連用語

1
4% |||||

日本への仏教伝来と戒律のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本への仏教伝来と戒律のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本仏教の戒律史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS