日本への仏教の到来と初期の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 14:28 UTC 版)
「日本思想」の記事における「日本への仏教の到来と初期の影響」の解説
古代の日本では、仏教の到来は国家の建設や中央集権化と密接に関連していた。聖徳太子と蘇我氏は古代日本の宗教を牛耳っていた物部氏を戦争で打ち倒し、体系的な法典と仏教に基づいた国家統治の計画を起草した。推古天皇の摂政である聖徳太子は蘇我氏と協力しながら「外国の」仏教に深い理解を示し、仏教によって国の政治を安定させようとした。仏教の力で国の平和と安全を得ようとする思想は「国家鎮護」思想と呼ばれる。奈良時代に、特に聖武天皇の時代に、国分寺・国分尼寺が全国に建てられ、東大寺と大仏が奈良に作られた。唐の鑑真が東大寺の戒壇をもたらした時期に、国家による仏教政策が頂点に達した。 奈良仏教が「国家鎮護」思想の面を強く持っている一方で、平安仏教は国の平和と安全だけでなく個人の現世利益ももたらした。それらが強く禁欲主義的な実践、つまり山中での加持祈祷を行ったため、これらの仏教は密教と呼ばれる。空海は中国の秘密仏教を学び、真言宗を開いた。最澄は中国の天台宗を学び、法華経の精神こそが仏教の神髄であると固く信じた 「罪深い時代」である平安時代に現世を信じる可能性は否定され、死後に仏教の楽園に転生することを求めることが流行した。「後世にこの世界で仏教が廃れる」という考えとともに、仏教の楽園へ連れて行ってもらうという「浄土」思想が広がった。空也が諸国行脚して阿弥陀如来への帰依を説いた。
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