日本への伝来と普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 07:50 UTC 版)
日本では江戸時代後期の1789年、秋月藩医の緒方春朔が大庄屋・天野甚左衛門の子供たちに人痘法で接種して成功させた。これはジェンナーが考案した牛痘を用いる方法ではなく、天然痘の瘡蓋(かさぶた)の粉末にして鼻孔に吹き入れる方法に、緒方自身が改良を加えたものだった。1810年にはロシアに拉致された中川五郎治が、帰国後に牛痘を用いた種痘法を伝えた。文政7年(1824年)、田中正右偉門の娘イクに施したのが日本初の種痘術である。この頃、蝦夷地(現在の北海道)では天然痘の大流行が3度起っており、このとき彼が種痘を施したとみられる。しかし五郎治は種痘法を秘術とし、ほとんど伝えなかったために、知る者は少数であった。彼の入手した種痘書は江戸幕府の訳官・馬場佐十郎によって文政3年(1820年)に和訳されている。 その後、種痘の技術は箱館(現在の北海道函館市)の医師、高木啓蔵、白鳥雄蔵などにより、秋田、さらには京都に伝達された。これとは別に1813年に同じくロシアから帰国した安芸国の漂流民・久蔵が種痘法を覚え、種痘苗をガラスの器に入れて持ち帰った。彼は、その効果を広島藩や藩主の浅野斉賢に進言しているが一笑され、接種に至らなかった。
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