日本への伝来と製法の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 20:56 UTC 版)
「丸ぼうろ」の記事における「日本への伝来と製法の変化」の解説
先述の「カヴァカ・フィーナ・デ・カルダス」は現在日本に伝わる丸ぼうろに比べ堅い焼き菓子であり、どちらかと言えばクッキーに近いものであった。丸ぼうろとカヴァカ・フィーナ・デ・カルダスの材料はほぼ同じであるが、日本産小麦の質がポルトガル産と異なる(ポルトガル産小麦は硬質小麦でたんぱく質含有量が少ない)ため材料や製法が日本に伝来しても全く違う菓子になった、あるいは南蛮船が長期間の航海を行うことを考慮してしっかり焼き上げた、などの説がある。 現在に伝わる日本の丸ぼうろの起源には、佐賀市伊勢屋町の横尾家の祖先が17世紀後期に完成させたものをルーツとする「北島ルーツ説」および鶴屋の二代目店主太兵衛が17世紀中期に長崎にてオランダ人より製法を直伝に学んだとされる「鶴屋ルーツ説」がある。また、福岡県飯塚市に本社を構える千鳥屋が鶴屋が丸ぼうろを編み出す以前に既に製造していたとするものをルーツとする説もあるが、この丸ぼうろは千鳥屋の源流にあたる「松月堂」が販売していたものであり、当時の店舗は肥前国佐賀郡久保田村(現佐賀県佐賀市久保田町)である。しかし、いずれにせよ現在日本に流通している丸ぼうろの原点が佐賀県であり、佐賀銘菓として広く認識されている事は間違いない。こうした「元祖」を称するこれらの企業努力によって丸ぼうろの味を向上させ知名度向上にも一役買っており、その結果日本の銘菓としての地位まで伸し上げたといえる。尚、互いの老舗屋号が競り合って1つの菓子を進化させていった例は、他にも福岡県大牟田市の銘菓「草木饅頭」などもあり、今日の日本の家庭で親しまれている丸ぼうろはこれら老舗屋号の努力の賜物、あるいは佐賀県内の様々な菓子工房の努力によって日本人の味覚や食感に合わせた銘菓にまで進化してといっても過言ではない。
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