日本への供与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 21:06 UTC 版)
「ウルツブルグ (レーダー)」の記事における「日本への供与」の解説
遣独潜水艦作戦の一環として1942年8月22日にドイツ占領下のロリアンから日本へ向けて伊号第三十潜水艦に積載されて出航したものの、10月13日にシンガポールで出航直後に触雷により沈没して失われた。 1943年6月16日にフランスボルドーのドイツ潜水艦基地から佐竹金次陸軍中佐と、テレフンケン社からハインリヒ・フォーデルス(Heinrich Foders)が乗船したルイージ・トレッリ号と木原友二が乗船し、3台のウルツブルグと図面が積まれたバルバリーゴ号の2隻のイタリア潜水艦が日本へ向けて出港した。バルバリーゴ号は1943年6月24日にスペイン沖で英国海軍の哨戒機の攻撃を受け沈没したが、佐竹とフォーデルスが乗ったルイージ・トレッリ号は8月30日にシンガポールに到着し、佐竹とフォーデルスは空路で福岡に向かい9月13日に東京に到着した。陸軍多摩技術研究所からは畑尾正央大佐、兵器行政本部の吉永義尊中佐、海軍の伊藤庸二が出迎え、日本無線三鷹工場敷地内に設けた多摩技術研究所分室でフォーデルス技師からレーダー技術の指導を受けたが、レーダーの実物と図面類を失ったため開発ができず、陸軍はフォーデルスの指導を得てウルツブルグの技術を取り入れたタチ4号を改良した。
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