日本への侵入と拡散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 20:23 UTC 版)
「セイタカアワダチソウ」の記事における「日本への侵入と拡散」の解説
日本国内への移入は、明治時代末期に園芸目的で持ち込まれ、「昭和の初めには既に帰化が知られている」との記述が牧野日本植物図鑑にある。その存在が目立つようになったのは第二次世界大戦後で、アメリカ軍の輸入物資に付いていた種子によるもの等が拡大起因とされており、昭和40年代以降には全国、北海道では比較的少ないが関東以西から九州にて特に大繁殖するようになった。沖縄県へも侵入しているが、沖縄本島や久米島などの一部地域で小規模な繁茂に留まっている。 1970年代までは、環境適用性が高さや蜜源がすくなくなる10月から11月にかけて花を咲かせる特徴から養蜂家に注目され、養蜂家の自家栽培などによって増殖や配布が行われたが、採取される蜂蜜には特有の臭みがあり二級品としての評価しか得られなかった。 外来生物法により要注意外来生物に指定されているほか、日本生態学会によって日本の侵略的外来種ワースト100にも選ばれている。 昭和40年代に、日本でセイタカアワダチソウが社会問題となった理由として、戦後の減反政策によって、休耕田となった土地に今まで見たことのない外来種の大きい草が突然いっぱい生えてきたという他に、当時は気管支喘息や花粉症の元凶だと誤解されていたことも一因であったが、セイタカアワダチソウは虫媒花で風媒花ではないので、花粉の生成量は少ない上に比較的重く、形状も風で飛ぶのには不適であるため、無関係と考えられている。
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