日本の河川舟運とは? わかりやすく解説

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日本の河川舟運

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 03:45 UTC 版)

河川舟運」の記事における「日本の河川舟運」の解説

日本の河川舟運は、古代より行われ近代以前年貢米輸送商品流通大きく貢献してきた。その一方で河川舟運物資のみならず地域文化・慣習伝播するという面や、都市河岸・津などと呼ばれる船着場集落の形成にも役割果たしてきた。近代に入ると、殖産興業政策による産業の発展に伴い運搬する物資増加し河川舟運最盛期迎えたしかしながら明治中期以降鉄道の開通河川改修陸上交通発達役割変化などに影響を受け、河川舟運徐々に衰退していった。河川舟運に関する研究蓄積は多いものの、近代以降河川舟運盛衰過程については、未だ明らかになっていないことが多い。 昭和中期ごろまで、米や木材といった荷物を運ぶためには、険しい山道を歩く陸上交通よりも、水運の方がはるかに速く容易であったことから、ほとんどの河川で、現在の道路機能代わりを担う、人や貨物を運ぶ重要な物流中心となっていた。たとえば、琵琶湖水源とし大阪湾に注ぐ淀川では、上流域瀬田川中流域宇治川と名を変えて呼ばれていて、京都大坂を結ぶ交通大動脈として機能した淀川合流する支流木津川は、奈良平城京東大寺など寺院建設のために、瀬田川流域森林から伐採され木材木津川遡って奈良運ばれたりもされた。 明治入って鉄道網整備されるうになると、川の交通次第衰退していったが、木材だけは昭和中期ごろまで「いかだ流し」と呼ばれる運搬方法によって川で運ばれていた。しかし、電源開発利水確保のために川にダム建設されるうになると、こうした木材運搬廃れていった。 今日における交通主役陸上交通にとって代わったため、河川舟運はほぼ見られなくなったが、一部では、かつてのような本来の運搬としての機能の形を変えて観光用川下り遊覧船便があるほか、東京首都圏では荒川隅田川水上バス運行されている。

※この「日本の河川舟運」の解説は、「河川舟運」の解説の一部です。
「日本の河川舟運」を含む「河川舟運」の記事については、「河川舟運」の概要を参照ください。

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