日本の治療者の態度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/19 05:57 UTC 版)
「内的自己救済者」の記事における「日本の治療者の態度」の解説
アリソンの『「私」が私でない人たち』が邦訳されたのは1997年8月である。それ以前の同年3月に田中究、安克昌が発表した症例に代弁者(救済者人格)「あきこ」、怒りを表現する「レイ」、幼子「はるかちゃん」の他に「大きな上から見ている人(マザー)」が内部に居た。治療者はこの「マザー」がクラフトのいう「のどかで、理性的で客観的なコメントをする人」なのでISHと感じたが、パトナムがニセISHへの注意を喚起しているのでやや距離をおくことにしたと述べている。 服部雄一は 1998年の 『多重人格者の真実』において「保護者人格」の中に、他の人格を観察し、助言するオブザーバーのような人格がある実例を述べている。そしてISHを「アリソンが1974年に紹介した交代人格」と、アリソンに触れながらもそのプラトン二元論的な、あるいは神智学的な発想には触れずに、むしろそれを一生懸命灰汁抜きしたパトナムに近いニュアンスで紹介している。ただしいずれのケースにおいても、治療者の前に現れることはあっても、日常は表に出ることはない。 柴山雅俊は2010年の『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』 の中で、「犠牲者としての私」と「生存者としての私」という切り口から解離と交代人格を述べるが、「犠牲者人格」も「生存者人格」もともにその感情的色合いから救済者にも迫害者にもなるとする。「犠牲者としての私」から生まれる救済者は「盾(protector)」あるいは「身代わりとしての救済者(scapgoat)」である。一方「生存者人格」は「犠牲者人格」から身を離して状況を俯瞰する。そのような「生存者人格」が、「救済者」「守護者(guardian)」となって現れたものがアリソンのいうISHであり、またフェレンツィ(Ferenczi,S.)が『臨床日記』で述べた守護天使(guardian angel)オルファであろうという。そして臨床例ではそれほど多いとはいえないが、そうした存在は治療者に的確な助言を与えてくれるとする。 ただし、日本においてこの5年間に出版されたDIDを主題とした専門書で、ISHについて触れているのは柴山雅俊の『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』だけである。治療者が公式に口に出すことは滅多になく、ネット上では保護者人格と混同している例も多い。
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