新事業と経営不振
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:22 UTC 版)
1980年代後半に各国でレゴの基本特許が切れたため、値段の安い類似のブロックを製造するメーカーが次々と出てきた。またテレビゲームの登場により、レゴで遊ぶ平均年齢が下がっていった。このような環境変化に対応することができず、1990年代後半からレゴの売り上げとシェアは落ちていった。 1998年、創業家3代目のケル・キアク・クリスチャンセンCEOは、かつてデンマークの高級音響機器メーカー、バング&オルフセンを再建したポール・プローメンをCOOに招いて難局打開を託した。プローメンは「脱ブロック」を号令に多角化を指示し、テレビゲーム開発、教育事業強化、テレビ番組制作、直営店経営、レゴランド事業の拡大に乗り出した。さらに、従来のレゴブロックとは互換性のない新シリーズを投入した。そのうち、映画『スター・ウォーズ』シリーズはレゴ史上最大のヒットとなり、以後も『ハリー・ポッター』などの人気映画との提携を続けることとなる。しかし大半は失敗に終わり、さらに互換性のない新シリーズ投入は固定ファンを怒らせ、ブランドの信頼を落とす結果となった。 2002年12月期は「スター・ウォーズ」シリーズによって営業利益で8億デンマーク・クローネ(当時で約140億円)と過去最高を記録したが、映画公開のない年は業績が大きく落ち込み、2004年12月期には損益18億デンマーク・クローネ(当時で約310億円)の赤字となり、自己資本比率は5.9%と危険水域まで下がり、身売りの噂が流れるようになった。 1991年 - 電気部品と電気システムの標準化を行う。トレインシリーズのモーターをテクニックシリーズと同様に9Vにして、他のレゴシリーズにも合うようにした。 1992年 - デュプロに螺旋回し、レンチ、ナット、ボルトが特徴のツーロ(Toolo)シリーズが追加。また、女の子向けにふんだんにパステルカラーを用いたパラディサ(Paradisa)シリーズが登場。 1993年 - デュプロトレインと、レゴブロックを床から回収するブロック掃除機(Brickvac)が登場した。 1995年 - 生後6か月から2歳向けのレゴ・プリモが発売された(当初はレゴ・デュプロのプリモシリーズとして登場し、1997年にレゴ・プリモとして独立。2000年にレゴ・ベビーに改称)。ブロックのポッチの部分が丸くなっており、踏んでも怪我をしにくくなっている。専用のジョイントパーツを用いることでデュプロブロックとつなぐこともできた。 1998年 - プログラム可能なブロック「RCX」をシステムの中心に据えたマインドストーム(MINDSTORMS)シリーズが発売された。RCXは光センサーなどの入力端子とモータなどを動かす出力端子を持ち、内蔵するマイコンによる制御が可能で、自立的なロボットを作ることもできる。RCXのプログラムはパソコンを使用し赤外線を使って転送する。 1999年 - レゴブロック初のライセンス商品としてレゴ・スター・ウォーズ・シリーズが登場、デュプロからはくまのプーさんが登場した。 2000年 - テクニックシリーズから男の子向けアイテム「バイオニクル(BIONICLE)」が発売。それまで導入されてきた「スライザー」「ロボライダー」といったテクニックシリーズ規格のニューアイデアをより洗練させたもので、おもに人型の機械生命体を主人公とし、球体関節を用いたさまざまなポーズでの固定が最大の特徴だった。バイオニクルシリーズが大きなヒットとなったことを受け、DVDや漫画、ゲーム、文庫本など様々なメディアでも展開された。 2002年 - ベビーとデュプロの統合新ブランドとしてレゴ・エクスプロアの展開を開始。
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