政党システム変化の兆し
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「韓国における政党史」の記事における「政党システム変化の兆し」の解説
民主化以降に表面化した地域感情を対立軸とした政党体制が作られ、国会議員選挙や大統領選挙においても慶尚道と全羅道を中心とした地域対立が選挙結果を左右してきた。しかし2002年の大統領選挙では地域対立と全く異なる新たな局面が生じた。 1998年に発足した金大中政権は2001年になると、経済政策や人事面での失政から支持率が急落し、2002年に予定されていた大統領選挙では勝てる見込みが低かった。前回選挙では忠清道を地盤とする自民連と連合することで金大中が勝利したが、その自民連は2000年の総選挙において敗北し、地盤としていた忠清道における動員力も大きく低下した上に、政権発足時の公約であった議員内閣制改憲実施が反故にされたことを理由に野党に転じていた。そのため、民主党は党機構を改革して、次期大統領候補を党員以外の一般有権者も参加して選ぶ予備選挙を実施することで事態の打開を図った。 党機構改革では、総裁職を廃止して最高委員で構成される最高委員会による集団指導体制の導入、大統領は党代表職を兼任できない、など有力政治指導者による党支配を改め、より党の自立性を強化する改革が行われた。そして、大統領選挙人団の内、50%を党員では無い一般有権者で構成される「国民選挙人団」に配分することも決められた。この民主党の党改革は国民の関心を引き起こし、ハンナラ党においても候補者予備選挙で一般有権者が投票できるように党憲・党規が改められた。 こうして行われた民主党の大統領候補予備選挙の結果、嶺南出身者であるため党内基盤が脆弱であったが反地域主義者で20代〜30代に支持が高い盧武鉉が、「ノサモ」(2000年4月の16代総選で釜山から出馬して落選した盧武鉉を支持する人々がインターネット上で結成したファンクラブ)を元に支持を拡大し、党内多数派の支持を得ていた李仁済を破って当選を果たした。その後、日韓ワールドカップを成功に導き有力候補と目されていた鄭夢準との候補者一本化を果たした盧武鉉は、12月の大統領選挙でハンナラ党の李会昌を僅差で破って勝利を果たしたが、「地域主義」によるこれまでの政党体制に代わる新たな政党体制システムへの変化の兆しが現れた選挙となった。まず、地域別で見た場合盧武鉉が湖南地域で、李会昌が嶺南地域で高い支持を得ており、地域主義の構造自体に大きな変化は現れなかったが、20〜30代の若年層における支持で李会昌に勝利したことが盧武鉉の勝因であった(表8参照)。また、対米・対北朝鮮政策など盧武鉉と李会昌の両候補間における政治理念の差が明確になった選挙でもあり、進歩主義的傾向の強い有権者は盧武鉉へ、保守的傾向の強い人は李会昌へと有権者の政治的立場の違いによって投票傾向が分かれ、これまでの選挙では争点にならなかった政治的理念や傾向が結果を左右した。 表14:第16代大統領選挙における世代別得票率(%)年代盧武鉉李会昌20代59.0 34.9 30代59.3 34.2 40代48.1 47.9 50代40.1 57.9 60代以上34.9 63.5 出典:梅津實、森脇俊雅、坪郷實、後房雄、大西裕、山田真裕共著『新版 比較選挙政治 21世紀初頭における先進6カ国の選挙』ミネルヴァ書房、215頁の表7「第16代大統領選挙での世代別得票率」より。元の出所は2002年12月19日にMBCが実施した世論調査。
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