政党システムの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 09:55 UTC 版)
インドの政党システムは、1947年の独立以来インド国民会議の一党優位政党制が続いたものの、1977年のローク・サバー(インド下院)総選挙で反国民会議派・反インディラ・ガンディーを旗印とするジャナタ党(人民党)が圧勝し、初の非国民会議派政権を樹立した。しかし、同党は内紛により1980年の総選挙で瓦解し、1980年代を通じて国民会議派による一大政党制となった。 しかし、政治改革を掲げるジャナタ・ダルがジャナタ党の残存勢力や国民会議派の離党者によって結成され、右派・ヒンドゥー至上主義のインド人民党と左派の共産党勢力などの閣外協力で1989年に再び非国民会議派政権を樹立したものの、左右両派の内紛に国民会議派の分裂工作もあり、1991年のローク・サバー総選挙で再び国民会議派政権となった。しかし1996年のローク・サバー総選挙では国民会議派、インド人民党、ジャナタ・ダルと共産系および地域政党の連合はいずれも過半数に及ばず三つ巴の連立政治が三大政党制として繰り広げられた。 1998年のローク・サバー総選挙ではインド人民党と選挙協力をした政党が過半数を確保し連立政権を樹立し、核実験の実施など、政策転換を果たした。インド人民党主導の政党連合・国民民主同盟による一党優位政党制への回帰を経るも、2004年のローク・サバー総選挙は事前予想を覆して国民会議派が第一党となり、同党と選挙協力をした各党が政党連合・統一進歩同盟を結成して政権を樹立し、二大ブロック制となった。しかし、両政党連合以外にも共産系の左翼戦線や旧ジャナタ・ダル勢力、地域政党などによる政党連合・第三戦線の試みもあるなど、ハング・パーラメント状況が恒常化してきているほか、2014年と2019年のローク・サバー総選挙により一大政党制への回帰を経ている。 2009年のローク・サバー総選挙では37党が議席を獲得するなど、議会に代表される政党数が多いため、分極的多党制の傾向を示すものの、ほとんどの政党が政権参加に意欲を示していることもあり、穏健な多党制に分類されるとも考えられる。
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