援助に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/03 01:37 UTC 版)
援助は純粋な奉仕の精神から与えられることは滅多になく、例えば国際政治の同盟国を支援する手段として与えられることは珍しくなく、受け取る国の政治プロセスを強化する目的も持って与えられる可能性がある。ある国がそのような援助を悪くみなすかは、特定の事例で寄付国により追及される協議事項に合意するかしないかで決まるかもしれない。20世紀の共産主義と資本主義の緊張関係の時代に、イデオロギーとソ連とアメリカ合衆国が優先した時代に、それぞれが他国の国内政治に影響を及ぼし、弱い同盟関係を支援する目的で援助を用いた。恐らく最も有名な事例は、アメリカ合衆国が大いに成功し、ヨーロッパ諸国を共産主義から資本主義に引き寄せたマーシャル・プランであった。低開発国に対する援助は、時として援助を受ける国の欲求より援助国の必要が優先されていると批判されてきたり、新植民地主義とさえ批判されてきた。アサンテは援助国が援助を与える明確な動機を幾つか挙げている。即ち防衛支援、市場拡大、外国投資、伝道事業、文化的拡張である。 ここ数十年、国際通貨基金や世界銀行のような組織による援助は、第一に世界的な資本家に新しい地域を開放する手段であり、第二にそうでなければ援助受領国の人々の幸福を憂慮しているに過ぎないという批判がある。この点は議論を呼んでいる。 動機に対する批判の一方で、援助は効果という点で安易に批判されている可能性がある。即ち意図することに用いなかったり援助しようとする人々を援助しなかったりしたと。この点は本質的に援助に対する経済的な批判である。批判は二種類あり、完全には分かれていない。ある援助の背景にある思想に対する批判は、効果がないと見られそうであり、確かに効果がないという点で、そうした考えにおける欠点を暗示している。統計学的研究は援助と経済成長の相関関係の異なる側面を広く示してきた。 多くはアメリカ合衆国の援助を特に援助を伴うことが珍しくない条件付き政策と批判している。例えば国際通貨基金(IMF)や世界銀行からの緊急資金援助は、ある国の尊厳が干渉されたと主張する広汎な自由市場政策に関係がある。外部からの政策は、その国の環境に相応しく名可能性がある点で更に危険である可能性がある。IMFは短期間なら返済に問題のある返済の繰り延べができるが、問題解決に時間の掛かる貧しい国には危険の原因となり得るものである。ウィリアム・イースタリーは著書「白人の負担」でIMFが返済可能な国に調整したローンを与えただけなら負債を免除されたり猶予されない状況でさえ繰り返し貸与する代わりに信用を維持できたであろうと述べている。 20/20でジョン・ストッセルは外国援助の配分と援助を受ける国の政府に欠陥があることを示した。 援助で与えられる食料は、結局は個人が持ち寄る市場で売られることになることが珍しくない。 援助を受ける政府は、私的な目的で隠す隠し口座を持ったことが珍しくない。 ジェームズ・シクワティ(ケニアの経済学者)は、外国援助が援助受領国に対する危険の原因になり、つまり援助が各地の政治家により配分されるために、堕落した官僚を創設することに資金を提供し、地域の経済を落ち込ませていると主張して来た。 ドイツのデア・シュピーゲル誌のインタヴューでシクワティはアメリカのトウモロコシを船積みしてケニアに運ぶ食糧援助を例に挙げている。コーン一人前は堕落した政治家により自身の部族に分け与えられたり食糧生産者より安い価格で闇市場に売られているかもしれない。同様にケニアの西側の衣類援助受領者は、事業を離れて地元の衣類業者から買うことはなくなる。 イギリスの開発経済学者ピーター·バウアーは、外国援助とは「'豊かな国の貧しい人々'から'貧しい国の豊かな人々'への富の移転を進める手段」であるに過ぎないとし、「もし外部からの援助が経済の発展に必要不可欠なら、人類はまだ石器時代にいるはずだ」と批判している。 援助に対する批判に対してアメリカ合衆国の援助の改革が、勢いを得始めている。アメリカ合衆国ではこの運動の主導者に地球の発展センター、Oxfamアメリカ、ブルッキンズ研究所、インターアクション、世界にパンをが含まれている。様々な組織が、新しい外国援助法、国家的な開発戦略、新しい開発担当省を求めて連合している。
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