援助か開戦かの議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 21:38 UTC 版)
「アメリカ独立戦争におけるフランス」の記事における「援助か開戦かの議論」の解説
1776年に始まった秘密の武器販売によって、フランスは私的に戦争に関与し始めた。ルイ16世とヴェルジェンヌが隠密にボーマルシェに会って、ポルトガルの会社「ロドリク・ホルタレス・エ・コンパニー」という隠れ蓑を使って百万ポンド近い武器弾薬を売る許可を与えた。フランスの援助はジョージ・ワシントン将軍がイギリスの猛攻撃に耐える要因となった。フランスが誂えたアメリカのフリゲートはイギリスの商船に対する海賊行為を行って、寄金にしろ貸し金にしろ経済的な援助の役割を果たし、軍事戦略家の「休暇」を利用してアメリカの軍隊支援を認めるような技術的支援もあった。 アメリカの「反乱軍」によって指名されたサイラス・ディーンはイギリスに敵対心を抱くフランス人に助けられ、非公式の援助を勝ち取った。しかし、目標はフランスの全面的な参戦であった。フランクリン、ディーンおよびアーサー・リーによる代表団がヨーロッパ各国の関与を求めるロビー活動を行った。代表団は13植民地とフランス、スペインの同盟によってイギリスを早期に打ち破ることができると主張したが、ヴェルジェンヌは個人的な願望にも拘わらず、この提案を拒否した。フランクリンはフランスがヌーベルフランスを要求できると訴えた。1777年7月23日、ヴェルジェンヌは植民地を全面的に支援するかその考えを捨てるかの議論を要求した。 1777年の終わりに国際関係が緊張していたとき、オーストリアがプロイセンに対するバイエルン継承戦争でフランスの支援を求めてきたが、フランスは拒否し、オーストリアとの関係は気まずいものになった。この状況ではフランスがイギリスに対する戦争でオーストリアに支援を求めることは不可能になった。スペインに対する働きかけも失敗に終わった。スペインにとっては得るものがなく、革命精神の広がりがラテンアメリカの植民地でのスペイン王室の正当性に対する脅威となりつつあったからである。
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