指名獲得まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:00 UTC 版)
早くから2008年アメリカ合衆国大統領選挙への出馬が確実視されていたが、2007年2月28日にCBSテレビのトーク番組にて出馬を明言し、4月には正式に出馬を表明した。 本命候補として満を持して選挙戦に臨んだが、ジョージ・W・ブッシュ大統領が行ったアメリカ軍の当初計画・2万人規模(最終的な規模は3万人に増大)のイラク増派を「戦争に負けるくらいなら、選挙に負けた方がまし」と公言し、自ら提言・全面的に支持したことから支持率が急落。増派後の2007年4月に側近議員ら数名とバグダードを訪問し、その際には護衛が100人以上つくなど物々しい警戒態勢で、イラクの治安状況の過酷さを反対に印象付ける。帰国後も「報道されない真実」と題するWP紙への意見広告を掲載してその大義を説いたが低迷は続き、また前述のような堅実的な側面が保守派からの支持を得るのに大きな足枷となった。逆風下では献金も集まらず、財政難から約150人いた陣営スタッフの50人以上を解雇するなど苦しい選挙戦を強いられ、夏頃には事実上の脱落の可能性も報じられる有様で一時は党内で5位、支持率が一桁に下落したこともあった。 しかしながら、共和党支持者の間ではイラク戦争の支持は常時6割の水準を保っており、前述のアメリカ軍増派は8月以降徐々に成果が現れ、アル・カーイダへの攻勢とバグダードなどでの治安改善、アメリカ軍兵士の死者数の激減が報じられると、支持も回復。11〜12月には選挙戦から撤退したサム・ブラウンバックや保守系・現無所属上院議員で元民主党副大統領候補のジョー・リーバーマンがマケイン支持を表明した。こうして、年明けの予備選・党員集会開始を前に、再び注目を集めていった。 緒戦のアイオワ州を捨て、必勝を期して臨んだ2008年1月8日のニューハンプシャー州予備選挙で劇的な勝利を収めて一躍本命に返り咲き、勝利宣言の際には、支持者から「McC is Back」の大歓声で迎えられた。余勢を駆って15日のミシガン州予備選挙に臨んだが、経済問題を中心においたミット・ロムニーに敗北。無党派の票では優ったが、共和党員とりわけ不法移民を良しとしない保守派の票では大きく水を空けられ、宗教右派が強いサウスカロライナ州や、党員のみの投票によるフロリダ州での選挙戦が懸念された。 しかし19日のサウスカロライナ州予備選挙で勝利。共和党では長年に渡り、同州での勝者が指名を勝ち取っており、勢いを大きく増した。24日にはニューヨーク・タイムズが、翌25日には俳優のシルベスター・スタローンが相次いで支持を表明。29日投票のフロリダ州予備選挙ではロムニーとの激戦の末に勝利を収めた。1924年以降同州で敗れながら本選挙に勝った共和党候補は無く、同州での勝利の意味は極めて大かった。 その後同予備選挙での惨敗を受けて撤退したルドルフ・ジュリアーニとアーノルド・シュワルツェネッガーらが支持を表明。2月5日の天王山スーパー・チューズデーではニューヨーク州、カリフォルニア州といった大票田を含む9州で勝利し、ロムニーが撤退を表明、指名獲得をほぼ確実にした。この後、前フロリダ州知事のジェブ・ブッシュと元大統領のジョージ・ブッシュが支持を表明する一方、「ニューヨーク・タイムズ」に2000年アメリカ合衆国大統領選挙の際の女性ロビイストとの愛人スキャンダルを報じられた。この件については記者会見で両者ともに一切の関係を否定。なお、同報道を行ったのが左派の「ニューヨーク・タイムズ」だったことから、これまでマケインを激しく批判していた人気DJのラッシュ・リンボーが全面擁護の論陣を張るなど思わぬ収穫ももたらした。3月4日の4州予備選ではいずれも勝利、代議員数において過半数を獲得し、ハッカビーの撤退とともに共和党指名獲得が事実上確定した。
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