指名試合を巡るエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/12 10:05 UTC 版)
「指名試合」の記事における「指名試合を巡るエピソード」の解説
2006年3月25日、WBC世界バンタム級王者長谷川穂積は、当時のランク1位であったウィラポン・ナコンルアンプロモーションと再戦し2度目の防衛に成功するも、オフィシャル・チャレンジャーではなかったため、指名試合に認定されなかった。同年11月13日のヘナロ・ガルシア戦が指名試合となり3度目の防衛に成功した。 2008年のWBA世界フライ級王者は坂田健史で、ランク1位は亀田興毅であった。それまで協栄ボクシングジムの同門であったこともあり対戦は実現しなかったが、亀田が独立して同門でなくなったため障害が取り払われた。しかし、亀田がWBC同級王者内藤大助との対戦を熱望するなどして実現に至らず、WBAは指名挑戦者を2位(後に1位)のデンカオセーン・シンワンチャーとして12月31日に対戦することとなった。 2008年11月のWBC総会終了後、一時は内藤大助に対して指名試合が2試合課されることになっていた。WBCが1位のパノムルンレック・クラティンデーンジムに指名挑戦権を認めたまま、他の2選手で挑戦者決定戦を行い、その勝者となった2位のフリオ・セサール・ミランダにも指名挑戦権を認めたためである。WBCの運営方針は問題視され、内藤陣営の防衛方針を疑問視する声もあった。その後、ポンサクレック・ウォンジョンカムとの暫定王座決定戦にミランダの出場が決定した為、ミランダの指名挑戦権は消滅した。
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