予備選・党員集会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:34 UTC 版)
「ルドルフ・ジュリアーニ」の記事における「予備選・党員集会」の解説
2007年2月5日に2008年アメリカ合衆国大統領選挙に立候補する意思を示す文書を連邦選挙委員会に提出する。その後、FOXテレビのインタビューで「勝つために参戦する」と出馬を表明した。 内政問題においては党内穏健派とされており、宗教右派など保守的色彩が強い層からは強い批判を浴びることもしばしばで、党内の指名獲得争いにおいて苦慮する場面も少なからず見受けられた。しかし、2007年11月にキリスト教右派の代表的人物パット・ロバートソンがジュリアーニへの支持を表明し、全米を驚かせる。その後も徐々に保守層への浸透を続けて、党内での指名獲得競争を優位に進めていった。 ジュリアーニの指名獲得に向けた運動は独特だった。通常は多くの候補が重要視するアイオワ州・ニューハンプシャー州といった序盤州や、最初の南部決戦となるサウスカロライナ州での勝利を捨て、1月26日に予備選挙が実施されるフロリダ州や、2月5日の「スーパーチューズデー」(20の州で予備選挙・党員集会が行われる)の大票田に力を集中するという有力候補としては異例の選挙戦略をとり、注目を浴びた。 全米でも民主党の有力候補を凌ぐ支持率を獲得してきた唯一の共和党候補であり、国民的知名度や中道層の支持を見込めることから、選挙戦当初からジュリアーニを「本命」とする見方も少なくなかった。しかし2007年12月に入り、序盤州での選挙戦や報道合戦が本格化してくると、それらの州での露出が減り、かえってジュリアーニの不在が話題になるほどであった。さらに12月後半には突然入院するなど健康不安も再燃し、支持率は漸減する。2008年1月に入り予備選・党員集会が本格化する中、緒戦のアイオワ州から2月19日のネバダ州党員集会・サウスカロライナ州予備選に至るまで、多くの州で下位に沈んだ。戦略ミスを指摘する声も少なくない中で陣営は「計算通り」と強気の姿勢を崩さず、これらの州での選挙戦が加熱する中、多くの時間をフロリダ州での選挙運動に費やした。しかし2月29日の同州予備選では3位に終わり、選挙戦からの撤退とジョン・マケインへの支持を表明した。
※この「予備選・党員集会」の解説は、「ルドルフ・ジュリアーニ」の解説の一部です。
「予備選・党員集会」を含む「ルドルフ・ジュリアーニ」の記事については、「ルドルフ・ジュリアーニ」の概要を参照ください。
- 予備選・党員集会のページへのリンク